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2008年07月31日

見学


周辺の農業をしている会社の見学会に参加した。

みなさんは、いろいろ取り組みをしている。

大変な時代だからこそ、あの手この手でアイディアを出し、ガンバってられる。

我々も、もっと喜ばれるものづくりに精進しなければいけないと再確認をした日でした。

投稿者 t_butta : 19:41 | トラックバック

2008年07月13日

世界の万人にとって平等な時間。
誰もが、1日24時間が与えられている。
しかし、その使い方は、唯一無二である。
人間も、植物も動物も、そのすべてが、それぞれの生き方をしていくのである。
どんなに悔いようが、無情時間は過ぎる。
だからこそ、その時間をどのように大切にし、また、意味あるものにできるかにかかっている。
時には、浪費することも必要だが・・
時こそ、与えられた共通の意味ある資源ゆえに、万人と共有できるものであるような気もするのである。


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日本標準時制定記念日(日本)
1886年7月13日に、東経135度を日本標準時とし、1888年1月1日よりこれを実施するという内容の勅令第51号「本初子午線経度計算方及標準時ノ件」が公布されたことに由来。これによって兵庫県明石市の正午が全国のどの地域でも正午となるということに定められた。

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日本標準時


明石天文科学館、親時計日本標準時(にほんひょうじゅんじ、JST: Japan Standard Time、ジャパン・スタンダード・タイム)は、独立行政法人情報通信研究機構の原子時計で求めた協定世界時を9時間進めた日本の標準時間である。日本時間、中央標準時などとも呼ばれる。

協定世界時 (UTC) との差を示す場合などには、「12:31:40+0900 (JST)」(日本標準時で12時31分40秒の場合)などと表記される。

なお2007年現在、法令に基づき一斉に時計の針を進める(あるいは戻す)形での正式な夏時間(サマータイム)は実施されていない。ただし過去には、1948年から1951年、5月(1949年のみ4月)第1土曜日から9月第2土曜日までの間、夏時刻法に基づきサマータイムが施行されていた。なお、2004年~2006年(2006年で終了)の7月~8月に北海道札幌市で試行されたいわゆる「北海道サマータイム」は、標準時を変えずに始業・終業時刻を1時間早める試みで、通常の意味での夏時間ではない。

日本では独立行政法人情報通信研究機構がJSTを管理・提供し、日本全国で日本放送協会(NHK)などの放送局やNTT(117)の時報にこの時刻が用いられている。

JSTと同じ標準時
インドネシア東部標準時 (EIT)。インドネシア東部(イリアンジャヤ、モルッカ諸島など)。
韓国・朝鮮標準時 (KST)。大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国全土。
パラオ時間 (PWT)。パラオ全土。
東ティモール時間 (TPT)。東ティモール全土。
ヤクーツク時間 (YAKT)。ロシアのヤクーツク周辺。夏時間あり。
夏時間
イルクーツク夏時間 (IRKST)。ロシアのイルクーツク周辺。
モンゴル夏時間 (MNST)。モンゴルの大部分。
オーストラリア西部夏時間 (AWDT)。オーストラリアの西オーストラリア州。(ただし2006年から2009年までの試験的施行)
なお、オーストラリアは日本と時差が小さいが、日本の真南に当たる南オーストラリア州とノーザンテリトリーがJSTに対し+30分であり、また夏時間でない場合の西オーストラリア州はJSTに対し-1時間であるため、JSTとちょうど同じ標準時になる地域は、西オーストラリア州が夏時間でない限りは無い。


歴史
日本の標準時に関して初めて制定された法令は、本初子午線経度計算方及標準時ノ件(明治19年勅令第51号、1886年(明治19年)7月13日公布)である。この勅令では、グリニッジ天文台子午儀の中心を通る子午線を本初子午線(経度0度)とし、東西それぞれ180度で、東を正、西を負として表すことを定めた上、東経135度(GMT+9:00)の時刻を日本の標準時(「本邦一般ノ標準時」)と規定した。この日本の標準時に関する部分は1888年(明治21年)1月1日から適用された。

その後、標準時ニ関スル件(明治28年勅令第167号、1895年(明治28年)12月28日公布、1896年(明治29年)1月1日施行)が制定され、東経135度の標準時の呼称を「中央標準時」と、東経120度(GMT+8:00)の時刻を「西部標準時」とそれぞれ規定、後者は八重山列島・宮古列島と日本統治下の台湾・澎湖諸島に適用された。中央標準時と西部標準時との時差は1時間であった。

この「二つの日本時間」は41年余り続いたが、明治二十八年勅令第百六十七号標準時ニ関スル件中改正ノ件(昭和12年勅令第529号、1937年(昭和12年)9月25日公布、同年10月1日施行)という改正勅令により、前の明治28年勅令第167号の第2条(西部標準時に関する条)の条文が削除となり、再び日本の標準時は一つとなった。なお、この改正では第1条(中央標準時に関する条)について文言修正等の改正は加えられずそのまま残ったため、現在も法的には「中央標準時」が日本の標準時の公式な名称とされている。

かつては、兵庫県明石市を通る東経135度の子午線における地方平均太陽時と定義されていた。


明石市立天文科学館子午線上にある明石市立天文科学館では、日本標準時を刻む大きな時計が設置されていたが、1995年の阪神・淡路大震災で破損し、停止してしまったため、その時計は撤去されて神戸学院大学で展示されている。現在設置されている大時計は3代目となり、服部セイコーからの寄贈である。

South Ryukyu Islands時間
FreeBSDなど一部のUNIX系OSでは、1999年初頭までインストール時にタイムゾーンとして「Japan」を選択すると、選択肢として「Most Locations」と「South Ryukyu Islands」のと選択肢が現れ、「South Ryukyu Islands」を選ぶとタイムゾーンとして西部標準時(UTC+8)が設定されてしまうという問題が存在した。

これはこれらのOSがタイムゾーン設定の元データとして利用している「tzdata」というデータベースに誤って西部標準時に関するデータが含まれてしまい(さらに元をたどると「The International Atlas (3rd edition)」(Thomas G. Shanks、1991年)という文献において、「西部標準時が現在も石垣島等で使用されている」旨の誤った記載が行われていることが原因であった)、この誤りを正すような指摘が行われないままであったために発生したものである。

このことが雑誌「UNIX USER」(ソフトバンク)の中で取り上げられた結果、1999年に「tzdata」のデータから西部標準時に関する誤った情報が除去され、その後のバージョンでは「South Ryukyu Islands」という選択肢は表示されなくなっている(ただし2006年4月1日にリリースされたエープリルフール版であるFreeBSD 2.2.9-RELEASEでは、このバグが残されたままとなっている)。


標準電波
日本標準時を国内外に広く知らせるために、情報通信研究機構は標準電波を送信している。この波により送信されている周波数の標準と標準時の信号は、国家標準であるセシウムビーム型原子周波数標準機や水素メーザ型、実用セシウムビーム型原子時計群を用いたものより高い精度に保たれている。なお、標準電波の送信は電離層の影響を受けにくい長波を使用しているため24時間の周波数比較平均値では 1×10-11の精度を得られると発表されている。

1999年6月10日開局の「おおたかどや山標準電波送信所」(福島県田村市都路町 大鷹鳥谷山)だけでは日本全国をカバーできなかったため、2001年には佐賀県佐賀市富士町の羽金山に「はがね山標準電波送信所」を開局し、これにより広い範囲で標準電波が受信ができるようになった。

いわゆる電波時計は、この標準電波を受信し、自動で時刻を合わせる時計である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


投稿者 t_butta : 22:47 | コメント (0) | トラックバック

2008年07月08日

くいだおれ閉店

くいだおれは、本日をもって閉店となるらしい。
京都の着倒れ、大阪の食い倒れと、あまりにも、食道楽が過ぎて、財産を食いつぶすことをいうらしい。
大阪人の気質からみると、食い倒れるなるとよっぽどのことだろう。
創業者は、「支店を出すな」「家族で経営せよ」「看板人形を大切にせよ」という遺言を残したらしいが、その上で閉店とは、またこれもそれらしい。
食は、無理をせず、無くなれば無くなったといえることこそ、その本質であると思う。
手違いと偽装は明らかに違い、その正賓の思想と努力によるものである。
われわれは何処まで、近づけるかわからないが、一歩でも歩みをすすめたい。

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株式会社くいだおれ
Cui-daore 種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 〒542-0071
大阪府大阪市中央区
設立 1949年
事業内容 食堂経営、食品の製造、観光事業
代表者 代表取締役会長 柿木道子
代表取締役社長 山田昌平
資本金 2400万円
従業員数 200人
関係する人物 山田六郎(創業者)
外部リンク http://www.cui-daore.co.jp/
表・話・編・歴
くいだおれとは道頓堀食堂株式会社で経営している飲食店ビルの名称である。


概要
大阪市中央区道頓堀に1949年6月、山田六郎が創業・開店した。屋号は「京の着倒れ、大阪の食い倒れ」という、「京都の人間は着物道楽が過ぎて財産を無くすが、大阪の人間は美食が過ぎて財産を失う」との意味の、江戸時代からの地域性を表した慣用句による[1]。

基本的に創業者・山田六郎の意向から家族経営で支店などは存在しない。山田六郎の遺言には「支店を出すな」「家族で経営せよ」「看板人形を大切にせよ」と記されている。焼け野原となった大阪で復興に寄与することを目指し食堂として創業された。

流行には敏感に反応、1953年の街頭テレビが関東一円に設置される前年(1952年)に、米国製テレビ受像機を購入して店内に設置するなどしている。ちなみにNHKのテレビ本放送開始は1953年2月1日で当時は試験放送が日に数時間程度あっただけだったという。この当時、大阪市内のテレビ受像機総数は50台程度で、価格もサラリーマン平均年収数年分に相当した。

くいだおれがビルに収まったのが1959年のことで、この際にもいち早くビル内すべてを空調設備完備とするなど最新の環境設備を自慢とした。1階が総合食堂、2階が居酒屋、3階が日本料理店、4~8階が割烹お座敷があり、食材も集まる流通拠点・商業都市としての大阪のもう一つの顔である、全国各地の名産品が入ることから飲食店が発達している「食い倒れの町」としての側面を体現している。

CM曲はキダ・タローが作曲している。


閉店
この項目は現在進行中の事象を扱っておりますが、ウィキペディアはニュース速報ではありません。性急な編集をせず事実を確認し、正確な記述を心がけてください。またウィキニュースへの投稿も検討してみてください。なお、この内容は不特定多数のボランティアにより自由に編集されていることを踏まえ、自身の安全利害に関わる情報は自己責任でご判断ください。

2008年4月8日、建物の老朽化や周辺環境の変化などを理由に同年7月8日をもって閉店すると報道各社に伝え、翌9日、柿木会長と山田社長が記者会見を開いた[2][3][4]。


くいだおれ太郎

くいだおれ太郎1階正面にチンドン屋の格好をした広告宣伝用の人形があり、これは「くいだおれ太郎」と呼ばれる。1950年に登場、以降次第に知名度をあげ、1990年代よりは大阪の町を代表する名物として人気がある。

くいだおれ太郎は同店の看板であると共に、ビリケンや通天閣と並び大阪を象徴するオブジェ(動く看板)となっている。文楽人形の製作技術が利用され、制作費は1千万円とされている。電動で休むことなく太鼓を叩いたり鐘を鳴らす・首を振る・口パクするなど一種の「宣伝ロボット」である。太郎登場以前には文楽人形そのものを直接人間が操作して、店への呼び込みを行っていた。なお、顔のモデルは喜劇役者の杉狂児とのことである。

1959年のくいだおれビル建設の際には「店頭の人形は撤去すること」が銀行側からの融資条件に含められてしまった。この当時はまだ「くいだおれの看板」としての知名度は低く、高度経済成長期に入り街が近代化して行く中で、融資元の目には「時代錯誤で街のイメージに添わない騒音を出す人形」としか映らなかった模様である。山田はどうしても太郎を外したくなかったため、同ビルは銀行融資無しで建設されたという。

1990年には「バンザイ人形」と呼ばれる太郎の別バージョンが登場し、同年11月の今上天皇明仁の即位の御大典を祝福した。この「バンザイ人形」は国民の慶事や大阪関係の発展に関するニュースの際に店頭に登場し、バンザイしているとのこと。

1992年に阪神タイガース優勝がいよいよ目前に迫ると、何処となくタイガースのスター選手亀山努に似た太郎が、前回の優勝時に熱狂したタイガースファンらにより道頓堀に投げ込まれたカーネルサンダース像の代わりとして狙われ、道頓堀に投じられるのではという懸念が生じた。そのため、「わて、泳げまへんねん」と題した浮き輪に水中眼鏡という特別コスチューム(ふきだし風の看板が添えられた)に変更された。これが全国メディアで好意的に取り上げられた。また、同年は惜しくもタイガースが優勝を逃したため事なきを得た。

この頃より「くいだおれ太郎」の知名度が全国的に急速に上昇し、観光客がわざわざ太郎見たさに同店に来るようにまでなった模様である。翌1993年には高まる人気もあって、キーホルダー化されている。また、観光客らが太郎と記念撮影する姿も頻繁に見られるという。

くいだおれ太郎は大阪城、通天閣、太陽の塔と並ぶ大阪を代表するシンボルの一つであり、くいだおれ閉店後も残すべきだとの声が多い。また創業者・山田六郎の出生地の香美町(旧・香住町、現・香美町香住区)から人形を引き取りたいとの要望も上がっている。

なお、「くいしんぼう仮面」という、くいだおれ太郎をモチーフにした覆面レスラーがいる。

製作者
くいだおれ人形作者である二代目由良亀(藤代亀太郎)は、淡路島・洲本市由良町出身で、淡路人形浄瑠璃の頭(かしら)の製作に携わっていた人物である。文楽にゆかりの者が 由良を通りがかった折に 由良亀の秀作に目を留め このまま淡路人形用瑠璃の頭作りで終わるには惜しい腕だ ぜひ大阪に出て文楽の頭を作らないかと声をかけたのが 大阪にでるきっかけとなった。およそ昭和21~23年頃(1946-1948年)に大阪に出、文楽人形浄瑠璃の人形製作者となる。その後 後進をも師事し 文楽振興に貢献している。 谷崎潤一郎が淡路島に逗留しながら書いた初期の小説『蓼喰ふ虫』の中にも「由良亀」として登場し 谷崎潤一郎の小説のモチーフとして協力している。くいだおれ人形は昭和24年(1949年)に由良亀が淡路島から大阪へと出た当初、アルバイトで製作したもので、本業の浄瑠璃の頭(かしら)製作者としても秀作を残している。由良亀の製作した人形の頭(かしら)は、洲本市立淡路文化史料館にも保存されている。


名前
「くいだおれ太郎」という名前は1994年まで存在せず、それ以前はくいだおれ側も「くいだおれ人形」と非公式に呼んでいただけで、明確な名前が付けられていなかった。

しかし、1994年に関西国際空港が開港した際、「大阪を代表するオブジェ」としてアンセット・オーストラリア航空とルックJTBタイアップ企画として同空港第1便となるオーストラリア行きの旅客機に「乗客」として搭乗した。この時に座席指定を受けるために正式に名前が与えられた。同時にバンザイ人形には「くいだおれ次郎」という名が与えられた。

この企画では、関西国際空港から旅立った「くいだおれ太郎」がオーストラリアに到着した様子が現地のメディアでも報じられている。また、1995年には阪神・淡路大震災で低迷した国際線の旅客回復・増大を目指し、再びくいだおれ太郎がルックJTBとくいだおれ共同企画で同空港からアメリカ・ロサンゼルスへと「旅行」した。この時は、野球選手の野茂英雄の応援のために球場に乗り込んだこともあり、同様に地元メディアで報じられている。


家族について
くいだおれ太郎には父親と弟がいた(2005年に放送のFNS系列「トリビアの泉」で柿木会長自ら語っていた)。ちなみに、父親の名前はズバリ「おやじ」、弟の名前は「くいだおれ次郎」である。

くいだおれ次郎は国民的行事[5]がある時のみ登場した。“おやじ”は創業当初のみの登場だった。その理由は、「“おやじ”は右手にお盆を乗せ、そのお盆に本物のビールが入ったジョッキを乗せたまま回転していた」為、回転の度にビールが通行人にかかり、苦情が寄せられた為である。なお、くいだおれ次郎は、通常は“宿舎”で待機していた。

但し、最近は“くいだおれ閉店”に伴い「くいだおれ太郎」が各地に“ひっぱりだこ”状態になっているため、くいだおれ次郎が店頭に登場する事が多くなっている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

投稿者 t_butta : 16:20 | コメント (0) | トラックバック

2008年07月07日

小暑

7月7日は七夕。
小暑でもある。

サミットも始まり、環境問題も注目されるが、世界全体で取り組むべき問題であり、サミットがどれだけの決議ができるか、時すでに遅しといわれる温暖化であるが、これをどのように、解決する方向に向かうか。

今年の夏はどれくらい暑くなるのか。
また、食糧問題はどうなるのか。
加速する環境・農業問題は何処へ行くのか、注視したい。

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小暑(しょうしょ)は、二十四節気の1つ。7月7日ごろ。およびこの日から大暑までの期間。

太陽黄経が105度のときで、梅雨明けが近づき、暑さが本格的になるころ。六月節。暦便覧には「大暑来れる前なればなり」と記されている。

蝉が鳴き始める。

小暑あるいは大暑から立秋までの間が暑中で、暑中見舞いはこの期間内に送る。小暑の終わりごろに夏の土用に入る。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

投稿者 t_butta : 22:32 | コメント (0) | トラックバック

2008年07月04日

梨の日


7月4日は、梨の日。

早いモノだとそろそろ出荷が始まっている?

出荷の季節が近くて、良い語呂。

梨は、とても独特の食べ物。
保存がきかないから、旬がはっきりしている。

逆にこのようなものが、季節を感じられる食べ物。

個人的には、桃もいいですね。

投稿者 t_butta : 01:22 | コメント (0) | トラックバック

2008年07月03日

空白

 
ピーター・ドラッカーの言葉につぎのような言葉がある。
「価値は人が創り出す。人は、思想と価値観によって創られる。」

最近の教育は、知識や情報を知るための教育が中心ではないかと思う。
ものの考え方というと、その手法の組み立てぐらいの話で終わることが多い。

最近、つくづく思うことだが、人はなぜ生きるのか、人類は何を目指すのか、ということを考え、それを徐々に現実にブレイクダウンし、行動するという、コトの本来、原理原則に基づいて行動があるのかと思う。

つまり、価値観や思想が、空白であるのではないかととさえ思う。

日々の現実は、どのような営みであって、無視の出来ない実態である。
それによって生きていることを軽視するのではなく、その現実がいかに重要であるかということを考え、思えばこそ、理念、思想、価値観、哲学が要求されるのではないか。

農業は、閉鎖域の社会であるが、それを解放形にしてゆくためには、その考え方が要求されるし、それがぶれない軸の上に立脚しているかである。

それゆえに、人は人であり、人であるのである。

投稿者 t_butta : 04:56 | コメント (0) | トラックバック

2008年07月02日

半夏生(はんげしょう)

はんげしょうなんて知らないですね。
そういわれてみれば、農作業の節目というのはありましたよね。
田植えが終わると、五月休みというのがあって、集落の皆で温泉に休養に行ったりしてたのは最近までです。
体を休める重要性をこいう節目をつかってやったのでしょう。


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半夏生(はんげしょう)は雑節の一つで、半夏(烏柄杓)という薬草が生えるころ(ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているようになるころとも)。

七十二候の一つ「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年7月2日頃にあたる。

農家にとっては大事な節目の日で、この日までに農作業を終え、この日から5日間は休みとする地方もある。この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないとされたりした。また地方によってはハンゲという妖怪が徘徊するとされ、この時期に農作業を行う事に対する戒めともなっている。

関西ではこの日に蛸を、讃岐では饂飩を、福井県では大野市などで焼き鯖を食べる習慣がある。

この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)といい、大雨になることが多い。


雑節(ざっせつ)とは、二十四節気・五節句などの暦日のほかに、季節の移り変りをより適確に把むために設けられた、特別な暦日のことである。

一般に雑節と呼ばれるのは、次の9つである。

節分
彼岸
社日
八十八夜
入梅
半夏生
土用
二百十日
二百二十日
これに、初午・三元(上元・中元・下元)、盂蘭盆、大祓を加える場合もある。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

投稿者 t_butta : 04:58 | コメント (0) | トラックバック

2008年07月01日

山開き・海開き


7月1日。

富士山が山開きの日。
どうして山開きや海開きというのでしょう。
それまでは閉まっている??のでしょうかね。
夏山は、8月までがシーズン。
というのは、私みたいな素人には、それ以外の季節には行くなと言うことなのでしょう。

山も海も気象変動が激しい面があり、危険と隣り合わせです。
温暖化によって、今まで予想していなかった天候変動が起きることもあるでしょう。
気温上昇になると、海開きや山開きの日は早まるのでしょうかね?

投稿者 t_butta : 05:45 | コメント (0) | トラックバック