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2009年07月31日


人体の6割が水だと云われている。
植物も動物も多くが水によって成り立っている。


水で云うと、水五訓という言葉がある。

●水五訓(水五則)

 一つ、自ら活動して他を動かしむるは水なり

 一つ、障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり

 一つ、常に己の進路を求めて止まざるは水なり

 一つ、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり

 一つ、洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり
     雪と変じ霰と化し疑っては玲瓏たる鏡となりたえるも其性を
     失わざるは水なり


黒田官兵衛(黒田如水)1546-1604 の教えである。
水を人に置き換えることもできる。


水は水である。


 

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2009年07月30日

本質への帰着

帰着と本質へ


いまの打開こそが、本質への関与である。


寡占から解放へ。

依存から自律へ。


矛盾する対局へ。


それこそがプロセス。


本質への旅路こそが自結へのプロセス。


帰着へ。


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2009年07月29日

睡蓮

睡蓮(すいれん)

玄関先の睡蓮が咲いた。


水面(みなも)に映る美しさ。
友人から頂いたもの。

美しいく、水が癒してくれる。


睡蓮とは、白い花を午後、未の刻ごろに咲かせる事からその名が付いたと言われたらしい。


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2009年07月28日

ギリギリ

いつもギリギリり人生。

追い込まれて、追い込まれて、そんなもん。

どうせ、いろいろ批判はある。

批判されても、ぶれないでいたい。

すべては完璧ではないけど、想いは大切にしたい。

形式ばかりが人生じゃない。


ありがとうKくん。

あなたは、大人になったね。


きっと、もつとすてきな大人になると思う。

未来を創ろう。

あなたならできる。

きっと。
きっと、必ず。

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2009年07月27日

異種混合

違うものが混ざりあうこと。


マゼコゼは意味をもつ。


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2009年07月26日

雨が降ると、雑草が生える。
暑くなるとてきめんだ。

日本庭園なのに、草ぼうぼう。

1本の草を抜かなければ、2本目にはならない。

草との戦いだ。

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2009年07月25日

難しさ

世の出来事は、難しい。

複雑な要因や出来事によって成り立っている。

人が人としてあることは、情緒や背景によってある。

雨が降ることそのものは、空から水滴が落ちることであるが、そのプロセスは複雑系である。

しかし、出来事として、その事実は翻らない。


いかにシンプルに解するか。


難しさは、解するプロセスにある。

投稿者 t_butta : 23:37 | コメント (0) | トラックバック

2009年07月24日

いろいろ

ありました。
急来の恩師も来訪がありました。

知友から、批判もされました。苦言も呈されました。


旧仲とは、いろいろ話しました。

新店の大将はお客さんでした。

逃げない隠れない、真実です。


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2009年07月23日

報道

某新聞社の記者が来社された。

農業を今までの概念のとらえ方も含めてゼロから見直したいという。

ほとんど農業の分野は経験のない方である。

しかし、視点はよい。

シンプルに構造をとらえる。


我々は、多くのことを知りすぎているかもしれないと思った。


原点に立ち返ることに気づかされた。


原点とは、何か、知りすぎた立場で、どう立ち返られるか。

投稿者 t_butta : 18:56 | コメント (0) | トラックバック

2009年07月22日

一度

一期一会という。

ただ一度だけ与えられた人生。

悩み苦しむことが、日々。

耐えること、諦めないこと。

しかし、帰着するのは自ら。


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2009年07月21日

兄というか、父のようでもある存在。


可愛がってもらう

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2009年07月20日

20日

海の日である。

その昔から続く、虫送りは、ずっと7月20日だった。

子供の頃、地元テレビ局が集落にきてドキュメンタリーを収録していった。

ちょうど、梅雨明けの境がいつもこの頃だった。


本格的な夏を迎える時期である。

投稿者 t_butta : 23:21 | コメント (0) | トラックバック

2009年07月19日

旧友

だいぶ前から時間を共にしたような関係。

親友とも違う、歴史や価値観までをもが、重なる。

酒を飲んで愚痴を言う。
どうかする訳でもなく、ただ延々と。


唯一無二である。

投稿者 t_butta : 23:53 | コメント (0) | トラックバック

2009年07月18日

新しい

店の暖簾。

麻生地に藍染。

夏らしく!


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2009年07月17日

ところで


世間には、たくさんのブログがあるが、こうして、私の、ブログを見にきていただく方々は、いったいどんな方だろうと思う。

書き込みに行き詰まるとき、ん~~、、と悩む。

どうせ、たくさんのブログがあるなかで、あってもなくてもいいブログの一つだととも思うが、ある意味続けてしまうと、やめるわけにはいかなくなる。

つまらない中身でも、つづけることになる。

ただひとつ、ここでは本心は明かせない。
本心は、だれにでも明かせるものではない。
なぜなら、自らが辿ってきた経験や背景、その時々に思ったことまでをも背景にして今があるからである。
本心は、過去の情景によってつくられている。

つまり、そのすべてを伝えることや、または、伝えようとすることは、伝わる側に対しての配慮も必要ににる。
重すぎる。

だから、軽々な内容にならざる得ない。

しかし、どうしても本心を知りたいのならというのであれば、、、
覚悟はある。

投稿者 t_butta : 23:49 | コメント (4) | トラックバック

2009年07月16日

帰結、それはわかれ道

大田先生との話の続き。

なぜ、生きるか。
どういう生き方をするか。

それを帰結と表現した。


先生曰く、

どのような学びを、してゆくかという人生のユートピアへのレールを分岐点を進んでゆくことである。
わかれみちを進むことであると。

毎日が、出会いと別れの連続であると理解できる。

日々の岐路に立つとき、どこへ向かうのか、どのように。


帰結へ。

投稿者 t_butta : 15:06 | コメント (0) | トラックバック

2009年07月15日

生命のきずな

【生命(いのち)のきずな】は、大田堯先生の著作。

ご本人からいただいた。

農業者大学校で、およそ25年前に、教育ということを教えていただいた。
授業は教育学だったたと思うが、学などつけるにふさわしくない、教育の神髄だったたと思う。

今日、25年ぶりにお目にかかる機会を得た。
91歳であるが、あの日とかわらない情熱的な人である。
共感を得たとおっしゃっていただいた。

授業の風景は、今でも映像のようによみがえる。
都留文科大学の学長をされていた時だと思う。

この情熱的な教育者は、教えない教育を基本としていると理解している。

教育界にとって余人をもって代え難い人物であると思う。


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2009年07月14日

いろいろある

毎日が、いろいろな出来事で、時間が流れてゆく。
小さなことも大きなことも、時間が容赦なく流してゆく。

なかなか立ち止まることは難しい。

瞬間に時間を止めようとしても、せいぜい、1秒を5コマに分解するくらいだ。

時代が流浪している中にあって、どのように自らを解釈し、その実現に向けて何をなすか。

ただただ、丁寧に生きることに、向き合うことしかないのかもしれない。

遠回しに考えていても、それは、無理がある。


自らの精神に直結した問いを問うことができるかである。

精神の深耕は、意図的である。

真なるもの。
善なるもの。
美なるもの。


その何かを問う。

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2009年07月13日

政治

政治的な立場は、中立である。
というのも、もはや、保守や革新というスタンスの取り方ではないと思う。

政治は、生活や社会にとっての機能であり、役割である。

政策や政治家がいつも望む政策や政治を行うとは限らない。

すなわち、特定の政党や政治家だけに依存しても社会を求める構造に変えられないと感じる。
今の選挙制度が派手でない地道な政治家が評価されにくいしくみであると思うし、本当は人気で社会を変えられるとは思わない。

政治的な態度を表明しないのは、政治家個人の資質ではなく、制度や政治的慣習によって政治を評価する仕組みが阻害されているともいえると思う。

社会にとって優れた政策や政治を望むためには、政治家の政策一つ一つを明瞭に開示し、それに基づいてどのような行動や活動を行ったか、それを知りたい。

投稿者 t_butta : 23:05 | コメント (0) | トラックバック

2009年07月12日

曖昧模糊

物事の本質や実態が、ぼんやりとしてはっきりしない様子。不明瞭なさま。曖昧と模糊は同義。
というらしい。


曖昧は、ある時は必要で、ある時は不必要となる。
明確・明瞭であるべきときの、曖昧は、この上なく不要である。

自分は、きっぱり判断したり、明快な表現を苦手とする。
ゆえに、煮え切らない表現は、いかにいやなものかとつくづく思う。

曖昧さは、時には、必要な表現であり、その意味や構造も学術の研究対象となっている。

何事もも複雑系の構造で、一つの要素だけで、意志決定はできないが、それを分化させ、必要な要素をセグメントして、明瞭に組み替えることがもとめられる。

右に進むか、左に進むか、分岐点にたち、二つしかない路を選ぶとき、選ばなければ、進むことはできない。
滞留するのみだ。

無常にも、滞留すれば右にも左にも行けない。
左の路と右の路がその先でつながっていないとすれば、同じゴールに進むことはできない。

前に進むなら、右か左のどちらかを選ばなければならないのである。
そういう意味では、曖昧模糊は、それこそ、何とも云えない。

日々、どうなっていっても、その日々を受け止めてゆくしかない。
それが、自らにできる唯一のことである。

投稿者 t_butta : 18:18 | コメント (0) | トラックバック

2009年07月11日

新 PC

3年ぶりに、新パソコンに。
持ち歩くことが多いので、先代は、五十センチくらいの高さから落として、モニターを破壊し、結果としてハードディスクを破損。

その後、モニターのケースもヒビが入り、買い換えることに。
そういうこともあり、ブログの書き換えが、停滞してすみませんでした。

投稿者 t_mobile : 10:49 | コメント (0) | トラックバック

2009年07月10日

お店

そう多くはないが、仕事柄、飲食店の方々とおつきあいすることが多い。
食材のおつきあいは無いが、10年来のおつきあいをさせていただいている大阪の鉄板焼きのお店がある。

おかみさんひとりでやられていて、じつに温和しい落ち着く鉄板焼きのあれこれを出していただく店がある。

派手すぎないいいものをつくることが出来るのは、何か、そのお店のもっている雰囲気というか、主人の人柄というか、価値観ということなのかもしれない。

店は、何から何まで、全ての何かを表現することでもある。
お料理も、はたまた食材もしかり。

我々も、農に生きていくものとして、見習うことは多い。

投稿者 t_butta : 03:38 | コメント (0) | トラックバック

2009年07月09日

しまえび

しまえびも、石川特有のエビだという人がいるが、たぶん他にもあると思う。
えびの殻が、縦縞で、縞がハッキリしている。

甘エビとボタンエビの中間の味。
とろみが多くて、なんとも、濃厚。

たぶん、魚介も産地で味が違うのは、摂取しているエサが違うからだと思う。

ノルウェーの鯖がなぜ美味しいかというのは、豊かな森から、流れ出る有機物と岩石や土壌から溶出するミネラルによって、優れたプランクトンを生み出しているとことである。

日本の魚介も、そういう意味では、森によって魚介が育まれていることを認識しなければならない。
ダムや護岸も必要だが、そういうことに少なからず影響を与えていることを忘れてはならない。

投稿者 t_butta : 19:28 | コメント (0) | トラックバック

2009年07月08日

赤にし貝

金沢でも、どこでも見るようになった赤西貝。

料理人の人たちに聞くと、西貝は売れることがわかってきて、年中漁をするようになったとか。

こりこりした食感が、サザエとバイ貝の中間くらいで美味しい。

自分の好みは、鮨、か刺身で頂くのがいい。

次回は、カルパッチョに挑戦してみることにしょう。
オーブンでアンチョビとオイルで焼くてみるのもいいかもしれない。

投稿者 t_butta : 21:22 | コメント (0) | トラックバック

2009年07月07日

もみいか

スルメイカの半干しで、内蔵がはいったものを石川では、もみいかという。

きっと、もみながら干したことから来るのかも知れない。

炙って食べると美味しい。

子供の頃、これがおやつだった。

今から見れば、贅沢。

ワタのあの味は、いつまでも覚えている。

日本酒には最高の相棒。

投稿者 t_butta : 23:55 | コメント (0) | トラックバック

2009年07月06日

梅酒レシピ

私の梅酒レシピを紹介しよう!

お酒の種類は、日本酒と焼酎、ラム酒が中心。
特にオススメは日本酒とラム酒。
日本酒は、原酒を使うことをオススメします。
通常、日本酒は16度〜17度のアルコールで、原酒は、18度か19ど以上でいたみにくいからです。今回の天狗舞は、18度〜、菊姫は19度〜と記載されています。
さらに、醸造用アルコールの添加はイヤなので、純米酒を使いました。
もちろん、梅はへたを爪楊枝などでとり、水洗いして水を切り、そのまま酒に入れるだけです。梅の量で酸味が変わります。

ラム酒も焼酎も同じです。
ウオッカやウイスキー、ブランデーなどもできます。
糖分を入れないのは、食事や飲み方によって甘さが邪魔になるからです。いくらでも呑むときに、糖分は足せます。
また、小分けして甘さの違うものを作る方法もあります。

日本酒の梅酒に氷を入れて飲むと格別です!


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2009年07月05日

純米原酒で梅酒

今日は夜なべをして、梅酒づくり!

純米原酒は、車多酒造の天狗舞純米原酒と菊姫の今日発売になった山廃仕込呑切原酒純米酒。

ラム酒はバカルディのORO。

泡盛は請福の減圧蒸留と入波平酒造の舞富名。

作り方は明日に書きます!


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2009年07月04日

アイスティー

グラス一杯の冷たい氷に熱い紅茶を注ぐ。

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2009年07月03日

今日、いろいろご指導いただいている皆さんとお目にかかる。
すべて年上の方である。

80歳くらいから60歳くらいの方である。

いろいろなご経験を教示いただく機会である。

長幼の序をわきまえつつも、お話し出来るのが楽しみである。


余談だが、母方の祖父は、90歳半ばである。
祖父から、いろいろなことを教えてもらった。
叱られもした。世間とのかかわり方も教えてもらった。
米の作り方も。

集落や近所の人たちや、いろいろお世話になった方々からも、叱られたり教わったりして教示指導いただいた。


誰かれの別なく、万人は師であり、自らの教科書でもあると思う。

投稿者 t_butta : 04:12 | コメント (0) | トラックバック

2009年07月02日

至高

いいものを見分けるためには、至高体験が必要と云われている。

味覚の話になったが、日本料理の微細な味わいや香りなどを見分けられるかということだ。
贅沢なものではなく、いいものを食していた幼少期の食生活や、その時々の体験が蓄積されて、味がわかるのではないかということである。

これは、躾にも通ずるところがある。
習慣化したものは、なかなか変わらないし、その習慣こそが、躾であるのかもしれない。

何事も経験しないと、本質的に体感できない。

至高体験をどのようにつむか、これまた、経験がないとわからない。

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2009年07月01日

氷室饅頭

昨日が、氷室開き。

今日、氷室饅頭を頂いた。

時節柄、氷室饅頭をやりとりする習慣も少なくなったが、季節感のあるお菓子である。

単なる麦饅頭に過ぎないが、無病息災を祈り、雪氷のかわりに、氷菓に見立てた麦饅頭を食する習慣は、粋なものである。

投稿者 t_butta : 23:29 | コメント (0) | トラックバック