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2009年10月31日
今日は新・農業人フェア
新・農業人フェアに出展します。
2009年10月31日 大阪会場 梅田スカイビル タワーウエスト10F
http://www.nca.or.jp/Be-farmer/event/detail.php?post_id=1005828
いまから出発します。
投稿者 t_butta : 06:20 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月30日
卵かけご飯
きょうは、たまごかけごはんの日(日本)らしい。
2005年、島根県雲南市において卵かけご飯の魅力を語り合うシンポジウムが開かれ、その中で制定されたとされている。
たまごがけごはんには、いろいろな作法があるとおもう。
いままでにたまごかけごはんを食べたことのないひとはいるのだろうか。
卵とご飯。
この組合せもまた、よく考えると不思議な関係である。
365日たまごかけごはんの本
365日たまごかけごはんの歌/365番たまごかけごはんの歌
という本うなどがある。
たまごかけごはん300という本は、持っている。
卵かけごはんをTKGと略すらしい。
どうでもいことかもしれないが、食べることの気持ちが一番凝縮されている食べ物の一つかもしれない。
ちなみに、
自分は、後がけ醤油の海苔派です。
投稿者 t_butta : 19:17 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月29日
秋の夕暮
のどかな夕日。
株田が続く。
秋のかほりを感じるとき。
。

投稿者 t_mobile : 20:52 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月28日
価値量/展開量
ものの価値が陳腐化するか否か、という基準が、価値量/展開量であると上原先生は云う。
これが、1を超えているかどうか。
これがブランドあるかどうかの境であるらしい。
平準化したときに、次の問題が起こるとも云われている。
いま、私たちは、この価値量を高めるために取り組んでいます。
投稿者 t_butta : 16:44 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月27日
源泉
生きる源泉は何か。
生命体の起源から、類人猿が人に変わったとき、持ち得たものがある。
動物は、単純に種の保存への生命である。
人間は、知を得たとき、知識と感情を得た。
これを成長させるために、共感という概念を得た。
きっと、生きる源泉は、共感かもしれない。
人と人。
人と社会。
人と国家。
人と世界。
人と人類。
ヒトとモノ。
関係性の中で、共感こそがエネルギーになりうるのかもしれない。
それが、人の源泉であるかもしれない。
。
投稿者 t_butta : 18:41 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月26日
知友
金沢に赴任されていた方とお目にかかる。
その方は、とても気遣いされる方で、快くおつきあいいただいている。
仕事のみならず、食べることにも共に関心があり、ウマが合う。
あるケーキ屋のクッキーは美味しくないという。
確かにそれは、外注されているらしいクッキー。
味覚が鋭いその方は、今からも末永く知友としておつきあいいただければと思います。
投稿者 t_butta : 23:59 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月25日
リアリズム
清濁併せ持つ人間の生き様は、人そのもの。
形式美にはない、実態としてのリアリズム。
これが、様式美を形成する上での核心ではないか。
リアルな人間であるために。
生き様にあって意図した生き方が、ある意味、人間探求そのもの。
善悪の際はそのにあるか。
際にある真実。
葛藤と迷い。
リアリズムそのもの。
。
投稿者 t_butta : 16:11 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月24日
最近
いろいろ出来事がある。
仕事も暮らしも、人の想いも。
変化がめざましい。
どうも、みんな模索しているように思う。
古くなった体質、価値観、仕事のやり方、自分自身。
何をどうして良いか、何をなすべきか、社会はどうあるべきか、家庭は、自分は。
暗中模索という言葉が、ぴったりはまるかもしれない。
基礎的な構造が大きく変化しているとすれば、外形は変えなくとも、本質は変える必要があるのかもしれない。
時代という文字から来る語意。
これもまた、意味ありげである。
社会の構造と、個人が向き合うとき、そこに何があるのか、社会とは何か。
最も、優先すべきことはなにか。
考えずにはいられない。
ここ最近想うことである。
。。
投稿者 t_butta : 03:46 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月23日
覆面調査員
あるタイヤメーカーのレストランガイドの調査をしているという覆面調査員。
かれは、日々多くのお店の料理を食べまくっているというから、そりは、大変な仕事らしい。
それにいわゆる美味しい店とされたところの料理を食べ続けるというのは、逆に、味覚が麻痺しないのかとも思う。
ティスティングのように少しだけ食べればというのではない。
そうするとすぐにばれてしまうおそれがある。
やってみたい仕事ではあるものの、苦痛かもしれない。
いずれにしても、覆面はしても、食べ続けた体型は隠せないかもしれない。
自称覆面調査員。
そんな食いしん坊は沢山いるのでありませんか。
投稿者 t_butta : 23:38 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月22日
友
偶然にも、久しぶりに同級生の彼に逢った。
すれ違いざまに気がついた。
彼は元気だった。
ほっとした。
また会おうといって別れた。
彼とは、出逢って30年。
卒業してからの関係が深いが、なかなかすてきな人物。
また、会うのが楽しみになった。
投稿者 t_butta : 23:19 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月21日
表情と仕草
どうして、表情があり仕草があるのだろうか。
言葉があるのに、どういう意味があるのだろうか。
言葉では伝わらない何かがそこにあるのだろうか。
微笑めば微笑み返す。
怒った顔は、怒った顔をつくる。
ミラーリングとも言われている。
なぜ、表情があるのかは、植物や動物の変化とどこが違うのだろうか。
一定の規則性はあるのだろうか。
いずれにせよ、意思を伝えるために表情や仕草があるのではないか。
投稿者 t_butta : 23:04 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月20日
群れ
なぜ人間は群れるか。
この議論を行った。
これは、ジャングルにいた類人猿が、アフリカ大陸の極端な乾燥により、平原に出ざる得なくなったゆえに、肉食獣から身を守るためか。
または、知能を得たがゆえに、その知能の発達のために言語や表情によりコミュニケーションを行ってきたからなのか。
または、限られた個体という群れによって、劣勢遺伝と突然変異を生み出すためにあったのか。
または、食べ物を分け与えるためなのか。
人間だけが、目を見て、向き合って食事をするという。
これは、ほかの類人猿にはないことのようだ。
とすれば、人間が知の交換を始めた原型かもしれない。
または、今に至っても、食事を囲み、相手を見て、食事をする行為は、何か意味を持っていることになる。
家庭やレストランで食事をすることは、何かそこに意味があることなのだろう。
それは、進化のプロセスといえる。
人間は、食を通してどこへいくのだろうか。
投稿者 t_butta : 23:36 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月19日
心体知
ブラジルサッカーは、サンバにあり?
彼らのリズムは、サンバから来ているという。
音楽・ステップから来る秘密がある。
ロナウジーニョは、サッカーの次にサンバが好きだとか。
心と体はどのように動くか。
実践知とか行動知ともいう。
スキルサイエンスの領域である。
投稿者 t_butta : 18:34 | コメント (0) | トラックバック
朝
この時間はまだ暗い。
夜明けの気配さえない。
いつも、4時56分にGoogleカレンダーから毎日の予定がメールで送られてくる。
目覚めの合図になってしまった。
明けない朝はない。
そして、また夕刻になると暗闇へと。
子供の頃、この暗闇が怖かった。
今は、この暗闇が自分の時間となる。
しんとした落ち着いた空気感。
朝が来れば、必ず夜が来る。
そして、朝が来る。
今日も。
投稿者 t_butta : 05:14 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月18日
午前4時
自宅にいると、相棒二人の予定が今日でないと時間がとれないという電話が鳴り、急遽打合せに向かう。
午後9時から、仕事の話から、生き様をぶつけ合う。
もう一人の仲間も入り、結局午前4時までの打合せ。
忌憚ない人生観のバトルは、気づかない自分を見つける。
丸3日分の時間だったような気がする。
出逢って二月も経たない彼らとの巡り合わせは、可能性から、アプローチへのステージに移り始める。
秋は、さらに深まる。
。。
投稿者 t_butta : 13:46 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月17日
前線
ただいま、前線が通過した。
突風と激しい雨。
そして雷。
秋になったことを感じる。
晴れない雨はない。
また、雨の降らない晴れはない。
単なる生き様としての人生であれど、その生かされる運命を運命として受け止めたいと想うのは、自分だけでない。
人と社会はおろか、生命や人類の中にあることは、いうまでもない。
この雨が、また、秋を深める。
。。。
投稿者 t_butta : 19:36 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月16日
明日の東海テレビ
しかし、残念ながら放送は東海地区のみ。
北陸では観ることはできません(x_x;)
東海地区の方、ぜひ感想をお聞かせください。
投稿者 t_mobile : 19:17 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月15日
きのこの日
10月15日はきのこの日として、1995(平成7)年に日本特用林産振興会が制定している。
その由来はわからないが、秋だから、キノコの消費をしてほしいということらしい。
きのこもいろいろある。
最近は山に入って取りに行くこともなくなったが、昔はいろいろ行った。
栽培されて年中食べられるが、やはり、秋ですかね。
投稿者 t_butta : 23:04 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月14日
緑提灯
国産食材を使うバロメーターだが、皮肉なことに、金沢の名店には下がっていない。
以下が、サイトの説明。
緑提灯は日本の農林水産物をこよなく愛でる粋なお客様のため、カロリーベースで日本産食材の使用量が50%を超えるお店で緑提灯を飾っています。 2005年4月、北海道小樽から始まり、現在では加盟店舗は2100店舗にも上ります。以下の条件で緑提灯を飾っています。旬の食材をお楽しみください。
http://midori-chouchin.jp/

投稿者 t_mobile : 17:25 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月13日
辛み大根
今年もようやく出荷がはじまった!
辛さはまずまず!

投稿者 t_mobile : 23:38 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月12日
連休
この連休は、いろんなところで行事が行われていたようだが、そういう行事にもあまり参加せず、自宅にいる時間が長かった。
午前中、茨城のつくばからの遠来の客がみえられる。
いつもは外で会う方だが、自宅でお目にかかるのは、久しぶり。
人とのご縁は不思議である。
この方も20年来のおつきあい。
いろいろとご示唆やご教授を頂いている。
いまだ学ぶことは多くて、というか、足りないことが多くて、教えてもらう日々。
そうしたことを考えれば、連休は、ただ意味もなく時間が過ぎていったと悔やんでもしょうがない。
投稿者 t_butta : 23:58 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月11日
白山
昨日、初雪が降ったという知らせ
日に日に秋が深まる

投稿者 t_mobile : 22:42 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月10日
願
願うこと
どう居きるか
願うことは居きること
居きることは、本願
ゆえに居まがある
投稿者 t_mobile : 20:54 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月09日
ブログ
ブログをほぼ毎日続けて1年。
早いものです。
自分の中では、たった数ヶ月のような気がします。
時がどんどん早く進んでゆく気がしてなりません。
そして、なぜか、明日は、えにしを感じずにはいられない日となりました。
投稿者 t_butta : 23:41 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月08日
台風一過
台風が過ぎ去った。
秋晴れ。
それこそ、台風一過。
台風は、恐ろしいものです。
どうにもできないチカラ。
投稿者 t_butta : 23:54 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月07日
インターン
意欲的で戦略である
投稿者 t_mobile : 23:55 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月06日
仲間
出逢おうとして出逢えるものではない。
彼らは、自らの殻を自らの力で打ち破ろうとしている。
これこそが若者である。
これこそが、イノベーターの前提要件である。
そして、きっと新しい世界を切り開いてゆくに違いない。
投稿者 t_mobile : 06:00 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月05日
東洋知
野中郁次郎(のなかいくじろう)は、JAIMS(日米経営科学研究所)所長で、一橋大学名誉教授、JAIST(北陸先端科学技術大学院大学知識科学研究科)名誉教授。
世界で唯一の北陸先端科学技術大学院大学知識科学研究科の初代学科長である。
知識科学を世界に切り開いた第一人者。
ナレッジマネジメントである。
日経NETの記事では、東洋の知と云っている。
農業には暗黙知が多い。
昨年、野中先生の授業を受けた。
投稿者 t_butta : 00:41 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月04日
米検査

投稿者 t_mobile : 23:43 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月03日
ドイツ再統一
19年前の今日、ベルリンの壁が崩壊したのち、ドイツが再統一された。
ところが、再統一というのは、過去に統一された時があったときから二度目である。
国家の統一分断の歴史は、その経験を持った人たちにしかわからない。
日本人が、経てきた歴史も日本人にしかわからない。
ただ、一つ云えることは、体験から来ることはわからないとしても、その歴史を知ることは、その国や人々の文化を知ることであり、その知遇こそが、経験で得られない体験なのかもしれない。
投稿者 t_butta : 19:14 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月02日
今日
彼らによどみはない。
彼らのダイナミズムが時代を変えてゆく。
投稿者 t_mobile : 23:59 | コメント (0) | トラックバック
2009年10月01日
縁
縁(えにし)というものは、不思議なものです。
今日、偶然にも京都から頂いた電話の方は、私の友人のお知り合いの方でした。
人は、どこにどのような出会いがあるかなどと、分かりはしないのですが、それがつながることがある。
誰が云っていましたが、偶然は、手に入れようとしないと手に入らないと。
なぜなら、それは、本を読まないと、その言葉に出会えないのと同じだと。
友人が、人生の伴侶にする本を見つけたいということを言っていたが、そのことは、その本の言葉や文脈からくるものが持っている意味と姿が、人生の伴侶としてどう位置づけるかということだろう。
出会いという縁は、人だけではなく、情景や文脈、または、ただの空気のようなものかもしれない。
人ととの出会いは、その何かしら、背景にあるその有り様かもしれない。
そんなことを云う自らには何もないような気がする。