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2009年11月30日

お新香4点

あるお店でお使い頂いている漬け物四種。

いただく時はいつも緊張する。


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2009年11月29日

5000年後の人類

というレポートを書いた。


どのような人類になるか。

また、我々には、ほぼ検証が不可能である。

5000年後の人類

Ⅰ.はじめに
 5000年後の人類がどのようにあるかという予測は、現代の科学的知見をもってしても、その推測は極めて困難であると考えざる得ない。
その根拠は次のとおりである。

①過去の進化の過程をすべて科学的に解明されていない。
②過去の進化のプロセスが全て解明されたとしても、それは過去の事実でしかなく、新たに及ぼす要因によってどのように変化するか推測する手だてが乏しいと見られる。
③未来において発生する要因が何によって発生するか正確に予測する手だてがない。
④現代社会に生きている人たちが、人間の欲望として5000年後の人類を予測するインセンティブが働きにくい。
⑤人類の進化は、現代にあっては科学の予測を遙かに超える速度であり、仮に、科学が進化を超えるときはじめて、その予測が可能となるみられるが、すでに予測が可能となった人類は、ある意味人類と定義できなくなると考えられる。

したがって、現代の科学的知見では、5000年後の人類の予測は、ほぼ不可能であると考えられる。しかし、あえてこの課題に解を示すには、どのような方法をとるかである。企業の多くは、ビジョンを掲げる。そのビジョンは、果てしない実現不可能な命題をあえてその企業自らに課す。ホンダやソニーがその企業の成長そのものが、その過酷な実現不可能な命題によって成長し、その命題を乗り越え、さらに新たな次代を展開してきた旗手である。
また、人間はなりたい姿を描くことにより、その姿を実現してゆくひとたちが出現している。物理的に困難とされた高峰への登山、深海への潜水、宇宙での滞在などの探検とも云える極限への挑戦、科学の発達、知能の昇華など人類が実現してきたものがいまここにある。一方、ガンやあたらなウィルスによる淘汰、温暖化という文明への負の対価、情報化・移動の高速化による時間の高速化、生物のコピー化、遺伝子の操作など、おそらくその少し前までは、予測が不可能だった事態が発生している。
すなわち、この課題を捉えるとき、どうなっていってしまうではなく、どうあるか、どうすべきか、または、どうありたいかという、未来への示唆と展望をこめて解いてゆくこととする。


Ⅱ.人類の環境

 人類が辿ってきたプロセスは、この地球の環境に支配されているとみられる。
火山が噴火し溶岩が流れ出ていた時代、氷河によって大地が埋め尽くされていた時代、多雨になり、ジャングルが密林化した時代、乾燥によって草原化、砂漠化していった時代、それぞれの時代にあって、生物は、その環境の変化に適応すべく変化を遂げていった。
寄生虫が寄生する対象を探し続けるのと同じように、さまざまな生物は、その種をカタチや生態を変え変化してきた。
もし、この適応ということが引き続き起こりうるとすれば、今後起こりうる環境の変化が何であるか、また、その変化の発生がどのようなものと関係しているかという点を把握することが必要となる。
その考えられるいくつかの要素を示してみた。

・温暖化
空気中の二酸化炭素が増加によって気温上昇が起きる。
気温上昇により、大きな気候変動が起きる。
海水面の蒸発量が増加し、多雨・暴風が多発する。
二酸化炭素の増加により植物の光合成が促進される。

・冷却化
要因は定かではないが、温暖化の後にくる冷却化。
温暖化で起きた植物の爆発的増加によって、空気中の酸素が増加する可能性がある。
地球が急速に冷却されることにより、人類の生物が減少する恐れがある。

・多雨化
温暖化を起因として、水面蒸発量が増加し、多雨傾向が続くことが考えられる。
雨期化する。

・乾燥化
冷却化とともに、乾燥が進むことが考えられる。
冷涼な乾燥地帯の増加によって植物の植生が大きく変化する。

・暴風化
温暖化・多雨化によって起きるとみられるが、風速60メートル/秒を超え、瞬間では100メートル/秒を超える暴風が発生する可能性がある。
建物・ビル・森林が倒壊する。

・静風化
特定の地域では、空気の流動が抑制され、無風の状態が続く可能性がある。
無風化によって植物の交配(自家受粉植物)などが抑制されることも考えられる。

・このほかに、灼熱化、氷河化も考えられる。

このいずれかも、十分に起こりうる可能性として考えられる。
人類は、この可能性の場合においてどのような姿であるかを考察してみたい。

Ⅲ.人類の姿
 
1.住処
 人類が、いずれにしても現在の環境から大きく変化することについて、防御する意図が働くであろう。
地中・海中・空中といったところに住居を求めていくと見られる。また、時には宇宙という選択肢もある。待避的な住居ではなく、そこを住処(すみか)としていくに違いない。現在の想像を超える暴風や、雨をどのようにしのぐか、また、その反対もありえよう。住処は、その昔、類人猿が乾燥によって草原へ出たときに人間に進化したプロセスである。草原に出て木の上での生活から二足歩行になったのは、獲物をとらえたり、外界の敵から身を守るといわれているが、現代の人間が外界から身を守るために限られたスペースの中で、身をおくことは、動物的退化を示唆する。
住居という特定のスペースではなく、住処という生活または、生命活動の領域について、その環境変化が、その人類の変化を大きく定義することになる。

2.食物
限りなく栄養価の高いもの、バランスのとれたものを科学的に摂取する方向に進んでいるが、おそらく、噛むこと、栄養を吸収すること、排泄、楽しむことが分離されていく可能性がある。場合によっては、機械的に体内にカートリッジなどを装着し、排泄物をも分解し、再利用する仕組みを体内に内臓する可能性がある。
また、この行為によって、人間が行き続けようすることが可能となり、200歳や300歳も可能となりうる。
また、土で栽培されたものが高額な扱いとなり、希少性を持つことから、自然界で生育した食物の擬似的な人工食物も開発されると見られる。
顎や歯の退化はすさまじく、顎との歯のトレーニングジムが開設されているだろう。

3.衣服
現代の衣服は、エネルギー効率や人体の抗ウイルス性が低く、古代の衣装となるに違いない。明らかに、様々なウイルスは、抗薬性をもち、すでに薬との闘いに限界があるとされる。衣服は、人体に入ろうとする有害物質やウイルスから身を守るものとなる。
また、人間の皮膚は、光や有害物質に過敏になり、衣服無くしては、場合によっては、水に触る・空気に触れることすらアレルギー反応を起こす可能性もある。

4.人体
人体は、考えることを続けたことによって脳の大きさは数割程度増加する。
脳は、限りなく高度に様々なことを考える、または、知識を創造するにいたるが、その代償として、足や手が著しく退化すると思われる。
ものを持たなくとも作業ができ、歩かなくとも、移動ができるようになる。
また、風景や味までが、通信でやりとりできるようになる。
一方で、野性的な人間も出現すると考えられる。
化学物質や様々なストレスに抵抗性をもつ未来の野生人間が出現する。その人間は、暑さや寒さにも抵抗性を持ち、おそらく、新種の人間として定義されるかもしれない。

5.時間
時間は、一つの要素ではあったが、おそらく時間を資源として扱うことが可能となる。全てのものを高速化している現代にあって、飛行機が音速を超えたときのように、人間が音速もしくは光速をこえることも可能でなくなるのではないか。時間を制御する技術の出現によって、人類の進化を制御することも可能になることが考えられる。
人類にとって超えられい時間というものをどのように扱うのか、これが、5000年後の人類を定義するうえで重要な要素となると見られる。

6.社会
人類の進化にとって、社会との関係は重要な意味を持つ。類人猿が群れをなし、人間に進化していったとき、人間は、相手の人間に共感という新たな概念を生み出した。これは、知を進化させたプロセスでもある。
したがって、人の社会は、人類固有のもであもある。社会のシステム・構造・環境・変化が、未来の人類を定義する一つの重要な要件であろう。
また、社会の環境変化にどのように抗うかということも、その社会が重要な意味をもつことになる。
極めて理論的かつ合理的な意志決定システムが構築されていることにると見られる。

7.感情
人の感情は進化するとすれば、どのように進化するか。もっと深い情念や思想、新たな価値観を有することができるだろうか。
5000年後は、人間として平和な社会であるだろうか。
おそらく、過敏な感情は、さらに過敏になり、それによって、人間は個化し、共感が難しくなると思われる。人と人が接触しない、性行為もしない、恋愛感情も生まない、冷徹な感情社会が形成されると見られる。
その反面、平和と友愛が訴え続けられるが、冷淡な表層的な感情は、深層にある情熱に火をともすことも忘れてしまうことになる。


まとめ
集団が解体され、単なる機能としての社会や家族、生活だけが中心となる。過去にあった平和で時代に懐古し、共感から退化した人類の再生を試みようとし続けている。明らかに、人が人で無くなるときである。
5000年後の人類は、限りなく個に近づき、共感を排除し、個の種をどのように維持するかという闘いに明け暮れるであろう。
自らの種の優位性を説き、その種の保存だけに注力することになるやしれない。
全てのことに無力になり、その無力という感情の淘汰こそが最大の敵になると思われる。

投稿者 t_butta : 23:08 | コメント (0) | トラックバック

2009年11月28日

もう

11月もわずか。

1年が早い。

自分だけではなく、みんなが云う。


きっと、通信や移動が早くなったからではないか。


まるで、社会がタイムマシンになったよう。


社会全体のスピードが加速しているようだ。

来月は、あと一日で来そうだ。


ブログも加速される?

投稿者 t_butta : 10:56 | コメント (0) | トラックバック

2009年11月27日

KJ

KJ法は、川喜田二郎氏が考案した方法である。

その弟子である三村先生が来社された。


いままで、知っていたKJ法とは、違うものであった。

そして、いつもお世話になっているSさんも、その川喜田先生の移動大学の二期生であることが偶然わかった。

そして、川喜田氏の仲間が、自然学を提唱した今西錦司であることも偶然ではない。


我々が、自然の摂理を利用したBMW技術は、まさしくその概念である。
その関係会社が北陸自然学研究所である。


投稿者 t_butta : 23:40 | コメント (0) | トラックバック

2009年11月26日

食農連携


食と農の関係者が集まる機会があった。

食と農は、食べること、農業のこと、だけだと思うかもしれないが、すべての分野につながっている。

生きること、暮らすこと、社会や環境、などにつながってゆく。

ある意味、人類の基盤を考える機会である。

また、次代の社会をどうとらえるかである。


食と農。


投稿者 t_butta : 23:36 | コメント (0) | トラックバック

2009年11月25日

石川 四季の会

全日空ホテルで、石川の飲食関係者と農家の集まりがあった。

大勢の人でした。

試食会みたいな感じでしたが、なぜかいろいろ話ことができなかった。

人見知りのせいもあって、というか、一過言ある料理人の前では、さすがに、なかなかどう話してよいか。

食べると話せないし、話すと食べられない。

2つのことは同時にはできませんね。

投稿者 t_butta : 23:54 | コメント (0) | トラックバック

2009年11月24日

来客とバナナ

お昼13時に来客があった。

午前中ばたばたしていて、お昼をとる時間がなくなった。

先日から、お店で販売している千葉の和郷園がタイで栽培している無農薬バナナをお昼代わりに一本食す。


風味が強くて美味しい。

バナナを日本が買うことにより、タイの農民の自立が図れる。
農民同士が提携して、関係を創ってゆくことは、大切です。


投稿者 t_butta : 23:50 | コメント (0) | トラックバック

2009年11月23日

新嘗祭

新嘗祭は、11月23日の皇室行事。


日本農業の取り組みに対して、天皇杯があるが、これが授与されるのも今日。


まさしく、農は日本の国家なりと言わしめた。


農のあるところに文化ありとも云う。


あるいみ大切な行事である。

投稿者 t_butta : 23:50 | コメント (0) | トラックバック

2009年11月22日

小雪

今日は小雪(しょうせつ)

小雪が降りだすころとされている。

さすがに寒くなってきたが、昔ほどではない。
金沢では、この頃に必ず一度雪が降ったものだ。
すでに冬タイヤを入れていた。


降らなくなった雪はどこへ行った。

突如として、何処かで猛威をふるうのか。


気候のみならず、社会も人も大きく変わってゆく。


そんな時代にどう適応すればよいだろうか。

投稿者 t_butta : 23:57 | コメント (0) | トラックバック

2009年11月21日

豆餅

ある冊子。


京都の和菓子屋出町ふたばの名代豆餅の記事。

鯖街道を通って京都に伝わったらしい。

生まれたのは加賀。


馴染みのある生菓子。


投稿者 t_mobile : 19:44 | コメント (0) | トラックバック

2009年11月20日

BM 技術全国大会

茨城県大洗でBMW(bacteria+mineral+water)全国大会が開かれている。


日本のみならず、韓国の取り組みが紹介されている。
すでに韓国が日本より進んでいるのは、新環境農業政策と政策的リードが機能しているからか。


私たちは、唯一北陸三県でのBMWプラントを有しているが、もっと使ってもらうことが必要かもしれない。


投稿者 t_mobile : 18:15 | コメント (0) | トラックバック

2009年11月19日

ままかり談義


岡山大のK教授を囲んで、駅前の福寿司でままかりを食す。

彼は、控えめに控えめに話す。

現場を知らないことに配慮しての話し方である。


しかし、もっと踏み込んで話してもいいと思う反面、その配慮は、我々に対する暗黙の忠告である。

知らない我々は忠告すらできないが、あなたたちは、何を考えやろうとしているのか、という、厳しい指摘であるとも思う。


ままかり、にはじまって、青物はうまいが、そのうまさの背後にある深さとは何かということをK氏は、われわれに問いかけているように思った。


彼は、極めて地味ではあるが、数少ない尊敬するひとりの重要な学者である。

投稿者 t_butta : 23:22 | コメント (0) | トラックバック

2009年11月18日

見えるもの

見えないもの。

可視できるか否か。


見えるものと見えないものは表裏一体であるのではないか。

言葉にできることできないこと。


これも表裏。

時間というものが、加わると、何がどうなるかということになる。

見えないものを見る。

見えるものが見えなくなる。


表裏とはなにか。

投稿者 t_butta : 15:25 | コメント (2) | トラックバック

2009年11月17日

いろいろ

いろいろなこと。

あの人、このこと。


人との出会いで思いめぐらすことがある。

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2009年11月16日

心通う

ふたりで話す。


長い付き合いの中で、徐々に打ち解けてゆく感じがいい。


いつも会っているけど、改めて出逢う。

改めて出逢うことは、意味がある。

大切にしよう。


あなたと共に。


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2009年11月15日

見習い

縦縞は見習いのはくもの

縦縞のズボンは、見習いがはくもの。

その次は、千鳥格子、そして、次は黒。


縦縞が好きな自分はまだ見習い。

投稿者 t_mobile : 23:47 | コメント (0) | トラックバック

2009年11月14日

解り

ものわかりという。


何も気づかないままである。


心が接触し、生の感触を得る。


解りかけはじめた。


その感覚。


心通う時。




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2009年11月13日

帰結

いつも考える。


いったい何処に行くのだろうかと。


社会も、人も、自分も。

生きることを生きる。

ただ、時計の針を追うだけ。


できることはそれしかない。


それしか、


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2009年11月12日

青蕪の田んぼ。


寒さが大切な時期。

種を播いたときは、温度が必要で、徐々に寒くなることが求められる。

冬が暖かいとやっかいである。
晴天も時には必要だが、曇天も、雨も、みぞれも、雪も雹である。






若い頃、いろいろ仲間と活動をした。

毎日のように集まり、議論し、いろいろ活動もした。
青年団、農業青年、ネットワーク活動・・・
いろんなところでいろんな人たちと出会い、教えてもらった。

今が、あるのも、だれひとりと出逢っていなかったら、なかったと思う。
迷惑もかけてきた。

いまも、いろいろお世話やお手数をかけている。

人は、どうなっていくか。
どこへ帰結するかに関心がある。

農的展開か、商的展開か、はたまた、工的展開か。

どこに帰結するか。


それが、自信のめざすところであり、混沌としているところである。

投稿者 t_mobile : 23:47 | コメント (0) | トラックバック

2009年11月11日

政策


昨日までの締切の農水省宛の農家戸別所得保障についてのパブリックコメントについては、応募はしなかった。

いくつか理由がある。
というか、書く気にはならなかった。
以下が理由。
①政策は、政治の負託にゆだねられていることから、いまや、現政治状況では、参議院選挙をにらんだものであることなどによる政治決定はさるが、正当な政策決定になる見込みがないこと。
②識者等の間で十分な議論がされないまま意志決定されること。
③WTOルールに抵触しているおそれがあり、国際的整合性が担保されているか不明なこと。
④本来、所得保障は、消費者の遺失利益を回復し、それによって、政策上、支援が必要と思われる対象者に政策還元する制度であるから、その理由が明白である必要があるが、政策理由が不明朗であること。
⑤いずれにしても、対象者となる農家が支援を必要しているか否か。

一般の人にはわかりにくいかもしれないが、要は選挙のための政策ではないかということ。
翻弄されたくないし、本当に食を大切に思うなら、政治で食をふりまわすべきでないと思う。
どの政党にも加担はしないし、しようとするだけの国民視点があるとも思えない。
ひよっとすると、政党のの宿命かもしれない。
日本の選挙制度が問題かもしれない。
いや、平等というものはこんなものかもしれない。

さりとて、明日の蕪の収穫が大事。


稚拙な人生を歩んできた恥を今週の日経夕刊でさらしている。
恥を受け止めてゆくしか、自分の道はないのかもしれない。

投稿者 t_butta : 19:41 | コメント (0) | トラックバック

2009年11月10日

区切り


先日、誕生日を迎え、一つ年をとった。

誕生日には、49歳の始まりであることを思った。
誕生日の前日に一つ年をとるのが、年齢に関する法律らしい。
誕生日になる前が、満年齢というということになるのだろうか。

今回の新聞の連載は、気恥ずかしい。
とても、新聞に載せられる内容ではない。
ただ、記者と親しくなって、何となく思い出して話していたことが記事になっている。

もう、それなりの時間が経ち、今後をどうするのか、いい機会かもしれない。
区切りというのは、大事だ。

結局、どこへ行くのか。


若いとき、農業が職業だなんて、恥ずかしくて云えないころかあった。
辛かったのは、どんな職業も同じだろうけど、職業そのものが軽蔑されていたことには、まいった。

いまのような時代が来るとは、だれも思わなかった。

ずっと底辺でありつづけることに抵抗はなかったし、いまもない。

誰かが担わなければならないこと。


それが、自然と立ち向かい、生きてゆくことなのかもしれない。

まだまだ、理解が進まない職業も多くあると思う。

どれも、社会には必要だ。


それぞれが、それぞれの役割として、生きてゆくことにほかならない。


この一年間は、自己探求と自己破壊のためにあるかもしれない。


はじめていった国がデンマークだった。
いまでも忘れない。

投稿者 t_butta : 23:31 | コメント (0) | トラックバック

2009年11月09日

今日から

日経夕刊の連載がはじまる。

人間発見というコーナーに。

自分の不熟を露出することになる。


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2009年11月08日

心のCTスキャン

KJ法を編み出した川喜田先生の技法を使った心をKJ法を使って見るという。

神経症の方などの困難な問題を解決するのに役立つという。

いまようやく、ほんとうのKJ法を習い始めた。

いままでやっていたKJ法とは、全く異なる。
といいうか、今までのものがいかに雑な仕分けでしかなかったかということに気がつく。


いずれ近いうちに、自分の心をCTスキャンしてみたいと思う。

投稿者 t_butta : 23:55 | コメント (0) | トラックバック

2009年11月07日

生命のきずな


生命のきずな という本の著者は、大田堯先生。

直にお話を聞く機会を得る。

「人間は、違うものである。ゆえにきずなを必要とする。人間の輪郭というものをどう描くのか。」


志であると。


農業者大学校の授業を長らく持たれ、私も学ぶ機会を得た。
すでに24年前である。

いったい人間はどこへ征くのか。
どこに帰結するのか。
帰結すべきか。

人とは何か。
問いはつづく。

投稿者 t_butta : 14:50 | コメント (0) | トラックバック

2009年11月06日

日本食農連携機構

食と農をつなぐ組織が設立された。

生産から消費までをつなぐ、関係づくりを行うことを目的としている。

時代が混沌としている今日に、次代に向けた新たなプラットフォームとしての機能を果たすことを目的としている。


Webサイトはもうすぐオープンの予定。

www,jfac.jp


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2009年11月05日

農業と経済


農業は、経済に適応できるか。

または、農業は産業化できるか。


農業とその周辺の食品加工や流通までおも含めたものまでを農業とされはじめている。

それが、6次産業化論である。

しかし、それは、加工や流通・サービスとの組合せ論であって、農業そのものではない。

単純に太陽等の自然エネルギーの恩恵を受けて行われる農業は、産業化になじむのかということである。


農学的適応と工学的適応という言葉があるが、適応における考え方をどのように定義してゆくかによって、その農業そのものの定義も変わってしまうかもしれない。

自分の住む、石川県石川郡野々市町上林集落は、大正時代に耕地整理がされたが、間口10間(約18メートル)奥行き20間(約36メートル)に農道と給排水の用水が整備されているが、ひれは、全て牛馬や人力で整備されと思われる。
一枚あたりの田んぼは、7アール(二百坪)といまどの田んぼとしては小さい。
現代の建設機械やトラックなどを使って行う方法と明らかに違う。
おそらく、水田の表土もほとんど動かすことはしなかっただろうし、水田の中の石もすべて手で拾ったにちがいない。農道に石をまくことなどしなかった。
なぜなら、裸足で田んぼに入っていた時代には、石が足に当たると痛かったに違いないから、石は農道からも拾ったと思う。
いまや、農道は雨が降るとぬかるむから砂利をまいてしまう。
大型機械で整備された田んぼは、工学的適応によって整備され、大規模なものになっていく。
未だ、7アールの田んぼでは効率は悪いが、小さな田んぼは、意味のあるのである。
先人が農学的適応で作り上げてきた財産である。

競争ではなく共生を意図したようにも思う。
避けられない産業資本主義の中にあって、社会共生社会を地域の中で維持することの意味性や未来性を定義することが求められている。

本来の姿は何か。
本質への探究こそが、人類に課せられた命題ではないかと思う。

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2009年11月04日

割り箸袋

あるお寺の割り箸袋の裏面

食前の言葉と食後の言葉が書かれてある


たべることが何か

考えさせられる


いただくということは



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2009年11月03日

今日

文化の日。

寒くなってきました。

もう、冬。


事務所から見える白山も白い雪が覆い始めました。
冬はも暗くて長いものだと思ったのは、子供の頃。

自分の胸くらいまで雪が積もったこともありました。
雪が楽しくて、田んぼの中で、雪を掻いて遊びました。
まるで、夏の海水浴のように。

1時間も2時間も遊んでも、寒くなったように思います。
その冷たい雪をたべるととても美味しかったように覚えています。


今は、もう、そういう遊びもほとんどできないくらい雪が少なくなってしまいました。
それが、残念でなりません。

暖冬は、子供の遊びまでを変えてしまいました。


今年の冬はどうなるだろう。

そして、その雪

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2009年11月02日

勝ち負け

ある飲食グループの社長の話。


競争に勝ち、社員の給与稼ぐことが大事だと!

しかし腑に落ちない。

みんなが勝てるわけではない。


勝ち負けで食べ物を作っている訳ではない。

喜ばれるために今があるのだから。


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2009年11月01日

はじまり

11月1日。

今年は10ヶ月がすぎ、あと2ヶ月となる。


10月への別れと11月との出会。


時間が止まらない限り、今は、すぐに過去になる。

明日が、今日になり、昨日になる。


はじまりは、おわりのあとにある。


はじまることへの誘い。

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