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2010年02月28日

2月


なぜ、2月は短いのか不思議に思った。

ウィキペディア(Wikipedia)によると、
他の月の日数が30または31日なのに対して、2月だけ28または29日なのは、アウグストゥスが紀元前8年、8月の日数を30日から31日に変更し、そこで不足した日数を2月から差し引いたためである。それ以前のローマ暦では、年初は3月であったため、単に年末の2月から日数を差し引いたらしい。

閏年によって、1年の長さの補正を行っていることになる。
つまり、2月は暦の年度末ということである。

3月には、春を迎えてゆく。

時間という、万物万人に平等なものは、勝手に進めることも戻すこともできない、どうにもできないものでもある。

投稿者 t_butta : 23:03 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月27日

花粉

そろそろ花粉が飛び始めたらしい。

マスクが、インフルか、花粉症へと変わる。

ほんとにやっいなものです。

投稿者 t_butta : 00:09 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月26日

フリーペーパー

都内で配られているフリーペーパーを入手。


もともと、住んでいる野々市町上林は、金沢の郊外でも微妙な農村部なので、金沢で発行されているフリーペーパーですら配布されない。

この手の雑誌は、社会の状況を映し出す。


ネイルや美容に飲食、最近は習い事まである。

ビッグウエンズデーと云われる定時退社の水曜日をねらったものもある。

時の変化にどう対応するかは別として、起きている潮流を知るのに役にたつのは確かだ。


投稿者 t_mobile : 08:02 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月25日

農の哲学


高名な教育学者大田堯先生の弟子である田嶋一先生とお会いする機会があった。

田嶋先生は、石川武男先生からも薫陶を受けられている。

この田嶋先生は、農と哲学という授業を農業者大学校で持たれている。

私は、大田先生、石川先生、田嶋先生ともに授業をうけたことがある。

また、最近は大田先生に再会し、ご教示いただいた。


田嶋先生の話によると、農業者教育に於いて、どのように哲学に出会うかは、農業者が持っている哲学に出会うことを教材としていると。

いわゆる農民の生き方、価値観は、その営みから発生するモノである。

すなわち、哲学の源泉は、農そのものにあるということである。

農には、生き物の飼養という生物元来の営みと、それを人が利用するという仕事の側面の2つがある。
ゆえに、人の営みのもととされる。


高度な産業社会にあって、さらにそれが知識社会の変化をとげる中、さらにあるべき哲学への探求が求められている。

投稿者 t_butta : 23:40 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月24日

連携

連携という言葉がよく使われるようになった。

縦社会から横社会へのシフトである。

旧来の枠組みの縁を乗り越えることである。

連携は新たな関係を示す。


投稿者 t_mobile : 23:44 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月23日

和郷園

千葉香取市にある和郷園

農業者大学校の後輩でもある木内博一さんが代表を務める。

今日は、彼が金沢入りした。

明日、セミナーの講師を務めることになっている。

学校では一緒だったわけでないが、親しくおつきあいいただいている。

農業を農村から改革するために、農業者大学校はつくられた。
そのほんとんどが、全国各地で農業に従事している。

名の有名無名にかかわらず、それぞれが自らのスタイルを築こうとしている。


我々同窓生の中では、どんなに小さい農業も大きい農業にも優劣をつけない。
そもそも規模など一つの物差しに過ぎないからだ。

求めるのは、社会のなかにあって農業がどのように貢献すべきかである。


政策追随を前提としない。
しかし、政策ああるべきスガタを問う。


そんな一つのカタチが和郷園である。

投稿者 t_butta : 23:04 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月22日

22.2.22春一番


今日は、2のぞろ目。

気象台の発表によると、今日、春一番が吹いたということだが、そんなに風は強く感じない。


世の中の境とは、不思議なモノで、何かの出来事が境目となりその前後が分けられる。


今日の春一番も、その一つ。


2が続く日もそうでしょう。


春の曙が、さらに春の色合いを増してゆく。

つくしやふきのとうが芽生える季節。

もう、マフラーは、クローゼットの中へ、長い休息に入る。


投稿者 t_butta : 15:29 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月21日

マメジン

近江町市場消費者会館でマメジンのみそづくり。


20人ほどが集まる。
http://www.mamejin.com/news/2010/post_29.html

もう12年続いた集まりだ。

いろんな人に出会う機会を頂いた。

親戚のような関係でもある。

ただ、豆を少しつくり、味噌をつくる。

豆腐も作って、楽しむ。

年一回のそんな味噌造りの日。

日曜営業の観光客でにぎわう近江町市場の人通りとは関係なく、近江町会館三階の調理実習室でいつも行われている。


さて、今年の味噌はどのように仕上がるか・・・




投稿者 t_mobile : 23:39 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月20日

来訪


遠くからの来訪は、なぜか、心が和む。


自分たちが旅をして何かをえるように、来訪の方からは、出会ったことのない違う空気を感じることが楽しみだ。

商談であれ、単なる立ち寄りであれ、ひとがもつ、異文化の空気は、言葉とともに、日常への刺激である。

人は人として、生きうることに、その精力をかたむけている。
生まれる喜びも、悲しい訃報も、時として、そのご縁に、生かされていることを感じずにはいられない。


喜びと悲しみは表裏であるから、どうにも出来ない事実とその歴史に生きざる得ない。


来訪というご縁に、また、自らと出会う機会である。

投稿者 t_butta : 16:57 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月19日

雨水

雨水は、二十四節気の1つで、太陽の黄経が330度の時で、雪が溶け始めるころに当たるといわれている。


三寒四温ということばがあるように、すこしづつ春に向かう気配を感じる。


今から、まだ雪はふるかもしれないが、朝は早く明るくなり、夕方もすこしづつ日が延びている。

春という暖かな季節は、もうすぐそこにある。

そろそろ春の準備が始まる。


投稿者 t_butta : 23:36 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月18日

ダンノモ農場

韓国京畿道揚平郡にある農場。

農場主はBM技術協会の大会で弊社に来られたことがある。

ここは、韓牛の繁殖肥育一貫経営。

肉屋と焼肉店も併設されている。

BMW技術で臭いも全くしない。きれいな農場だ。




投稿者 t_mobile : 22:19 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月17日

PRUNDEL 営農組合

韓国のソウルの南の忠清男道にプルンドル営農組合法人がある。

韓国の国家戦略として取り組まれている、
親環境農業を導入している。

事業協同組合で、生産者が構成している。

ISOやHACCPを導入している。

籾摺り、精米の施設が併設されている。

牛の餌なども自給している。有機畜産も実現しつつある。

バイオ燃料も自給自足しょうという。

すでに、この農業法人は、日本の農業より進んでいるのではないかと感じる。





投稿者 t_mobile : 14:45 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月16日

味噌づくり

金沢市内の保育園で恒例の味噌づくりをしました。


子供の反応はいつも違い面白い。

味噌玉、今年は桶の外に飛ぶことはなかった!


小学生になり、夏休みに入る頃に開けるまで楽しみ。




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2010年02月15日

YouTube

YouTubeは、友人にパーティーのビデオを配る方法として考えた結果に作った技術を使い、「皆で簡単にビデオ映像を共有できれば」と思いついたことによるらしい。

そのYouTubeが設立されたのは、2005年の今日。

もうすでに、YouTubeは、インターネットの世界で一般的なモノになったる

だれでも、動画をアップできる。

もはや、自分でニュースや番組を配信することが可能になった。


テレビより、同時性がなく、検索ができることが優位性となった。

農業にも、このような画期的技術の導入の機会は、たくさんあるように思う。


投稿者 t_butta : 23:45 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月14日

春節

中国の旧正月と言われている春節。

日本にも、その休暇を生かした旅行客が大勢来たとか。

日本の日常でも見えないところで、大きな変化が起きている。


なにか、日本人だけ、気がつかないままいるようにも思う。

テレビや新聞、メディアの役割も大きい。


農村も例外ではなく、おそらくそのような影響を今後とも強く受けていくことになるのだろう。

時代はどんどん変わってゆく。

投稿者 t_butta : 23:30 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月13日

シャリとネタ


昨日、ある料理職人の知人と寿司飯談義になった。

(会話)
なんで、あの高級寿司屋は、古米なの?
うちは、新米のコシヒカリのとのブレンドで・・・・

多くの寿司屋はコシヒカリを使わない。
また、新米も少ない。
ということらしい。

コシヒカリは、粘りがあり向かないらしく、
新米が少ないのは、水加減がぶれるから、特に秋頃は難しいらしい。

最後には、ネタがシャリに負けるから・・・

ということになった。

我が家では、鮨と言えば、手巻き寿しをつくる。
ネタも大事だが、海苔とシャリが大事だ。

本当のおいしい米は、ほどほどのネタでも、それをさらに美味しくする。
という経験を持つ。

勝ち負けではないのだ。
補い合う関係である。

自分の好みは、シャリとネタが補い合う関係の鮨であってほしい。

まるで、人と人の関係のようだ。


投稿者 t_butta : 23:52 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月12日

Momo 

「モモ」は、1972年に、ミヒャエル・エンデ(Michael Ende)が書いたドイツ児童文学の代表作。

時間をお金に換えるコトへの警鐘を鳴らした本である。

:現代は、高速化し、時間とのお金を交換し始めている。
時間は、何者にも代え難い誰にでも平等に与えられものであり、その享受こそが平和への前提となると思う。

人間が持つたゆまなき欲求は、時に社会を暴走させる。

進化で得られたものの反対側には、必ずや失うモノがあることを忘れてはなにないと思う。

投稿者 t_butta : 12:00 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月11日

電話

2月6日のブログを見られて、電話を頂いた。

尊敬する先生からである。


米政策の裏側にある意図と仕組みについてである。

前政権と今政権の政策でどこが変わったかということだが、具体的には、その意味を聞かせてほしいという内容。


内容は、説明すると長くなるので省くが、こうして、時々電話を頂く。


大学の教壇に立ちながらも、かならず現場に立ち返って、小さなコトでも、お問い合わせいただくこの姿勢は、なかなかまねできない。


わからないことを長幼の序を超えてお尋ねいただくことは、その昔、青年団活動をやっていた頃、友達に誘われて1、2度行った『白山僻村学校』で出会った考え方でもある。

そこに、当時から変わらない一説がある。
今は、白山僻村塾となった理念・校則である。


-人間本来の姿として次の二項は厳守する。人生の先輩には生きた実績と知恵の重みで後輩は争い得ないことを自覚し、長幼の序は厳守する。但し、先輩といえども思慮分別十全ではあり得ない以上、後輩が論戦を挑み論破することは歓迎する。この二項もまさに教育そのものに他ならない。-
(抜粋)

当時、二十年ほど前にこの学校ができたてのころ伺った時は、高橋治氏が我々に指導を頂いた。
また、真野響子さんや神田紅さんも来られていた。

今も続いていると聞く。


この時々かかる1本の電話は、長幼の序と論戦論破を思い起こさせる大切なコトである。

また、かかってくることを楽しみにしている。

投稿者 t_butta : 02:56 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月10日


こんな当たり前のことをいうのは、おかしいかもしれないが、人が重要である。

こういうと人材だの教育だのという話になるが、人とは、自らである。

おそらく、あれこれ社会や相手のことをとやかく言うのは簡単だが、自分そのものをどのように捉えるかである。

これまた、難しい。

変われないでいるのも自分。
こんなことを考えるのも自分。
継続して生きているのも自分。


きっと、全ては、自らに帰結する。

ふがいない自分を悔やみながら、生き続けるしかない。

しかし、そうは、いっても、また、一日は始まる。


人の営み。

投稿者 t_butta : 23:26 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月09日

表現


あなたのブログは、抽象的だね。

とよく云われる。


最近は、ネット上でいろいろな表現をすることが当たり前になっているが、そもそも、その昔は、ネットどころか、人前でしゃべることすら、滅多になかった。

というのも、農業をやっていると、一週間、家族以外の誰とも話さず、黙々と農作業に明け暮れていた。

地面と植物が相手だ。

彼らは、しゃべらない。


じっと見つめて、見つめて、見つめて、ようやく、その何かに気づく。

農業の深さとはそういうものである。


だから、農業者は、話すのが不得手。

人の表現にはなれていない。

組織にいて、伝えることが前提ではないからである。

春になれば、作物との対話が始まるが、今は、空の雲との対話。

刻々と変わる北陸の雲のカタチ。

これで、天気を察する日々が続く。

投稿者 t_butta : 22:17 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月08日

滋味

伝統的な食品は、その時間と歴史によって創られ支えられてきた。

その時間が創り出した味は、何とも云えぬ味わいである。

少しの時間では、合い違えぬものである。


人間は、原体験によって味覚の基礎が造られるという。

はじめて口にしたモノが、その経験として、カラダに刻み込まれる。

表現のしようのない味わいこそ、人の手で創れるモノではない。

投稿者 t_butta : 15:49 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月07日

昨日は、横風が強く、寒かった。

今日は、晴れて、道路の雪も融ける。


この時期、雪が降るのは当たり前。

新潟が大変な大雪と聞くが、石川も昔はあれくらい降ったものだ。


小雪になり、時代はどこに向くのかと、心配になる。


昨年末、金沢のある家の庭先にミカンがなっていた。

雪は、大切なモノである。


投稿者 t_butta : 22:24 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月06日

懇談


郡司農水副大臣との懇談が小松空港内であった。

副大臣は、公務で福井に行かれるとのことで、石川県の農業法人協会の関係者との懇談が行われた。

今回の、政策の変更には、こう考える。

まず、生産調整の面積配分と、作物の補助制度が分離されたこと。
簡単にいうと、今までは、面積制限を守った人で、制度に加入したひとが、転作作物の補助制度の対象になったが、今回の制度は、転作の面積を守ることと転作の作物の補助制度が関連づけられなくなった。

戸別所得保障制度は、バラマキであるとの指摘がよく聞かれるが、これは、農業への意欲の均等な機会を皆にあたえようとするものである。

日本がどのような国家であるべきかという議論が十分とはいえないが、少なくともそういう議論をはじめるに必要な制度である。

従前の大規模経営中心の支援制度は、当事者でありながら腑に落ちなかった。
ゆえに、生産調整達成はするものの、近年ほとんどの生産調整の補助金はもらってこなかった。

ひとつひとつ、地道な意見交換が大切であると思った。

投稿者 t_butta : 23:11 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月05日

手紙


時々、手紙を書くことがある。

電話やメールのやりとり、もしくは、毎日会っている人であっても、なぜか、手紙でつたわることがある。


人とのかかわり、なかなか普段は疎遠になっていて、そういう手紙すら書けない。


しかし、勇気をだして、手紙を書く。


乱筆乱文である。


ひととのかかわりは、縁(えにし)である。

疎遠だったひととのつきあいが、急に近くなることもある。

また、疎遠であっても、その人を忘れることはない。


手紙という昔からある、思いの便りは、今でも情景を伝える大切なものである。

投稿者 t_butta : 23:53 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月04日

立春大吉

立春 (日本、2002年・2003年・2004年・2005年)
二十四節気の1つ。太陽の黄経が315度の時で、春の初め。

立春の早朝、寺では門に「立春大吉」と書いた紙を貼る習慣がある。

立春の前日は、節分である。


いよいよ、春を迎え、その兆しが感じられる季節になる。


春は、春。


気を引き込み、暖かな春に期待をふくらます季節である。


いいことを思い、気を明るくする季節になってゆく。


大吉とはよくいったもので、春になるといういいこととかけあわせている。

投稿者 t_butta : 12:32 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月03日

いいこと


いいことを3つ寝る前に書くと元気になるという。

たしかに、悪いことを思いこんで眠ってしまうと、後に尾を引く。

どんなに悪い日でも、いいことが必ずある。

だから、3ついいことを探すことは、気分転換にもなる。

気持ちを切り替えて、眠る。

ぐっすり眠れそうだ。


いいことをのばして、元気になることは、だれにとってもいいことだ。


いいこと。


3つ。


できそう。

投稿者 t_butta : 12:22 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月02日

小さいこと


ある友人と、2人で話す機会があった。

彼は、小さなケーキ屋の店主。

「やっぱり、小さな商売や農業をしている人たちをどうするかが大事だと思う。」

その、言葉に、改めて考えさせられた。


そう、何か日々の流れの中で、いろいろと大きいことや凄いことに目を奪われがちだが、実際は、それも、もとは小さく始まった。
また、まじめにコツコツやっていれば、大きくも凄くも、そう簡単にはならない。


人の生きざまは、コツコツしたものだ。

人は、小さい。

人は、ひとり。

ゆえに、その集合が、社会であり、さまざまな組織である。

小さいことの意味や役割、そして、そのあり方を考え、それにあった姿を実現することが重要である。

投稿者 t_butta : 23:30 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月01日

如月

日本では旧暦2月を如月(きさらぎ、絹更月、衣更月と綴ることもある)と呼び、現在では新暦2月の別名としても用いる。


もうはやいもので、正月が終わり、ひと月が過ぎた。

2月は、1年で一番意味のある月である。


とても重要な時である。

ほんとうの意味で、1年が始まるときである。

アジア諸国では、旧正月で新年を祝う。


子供の頃、まだ旧正月は残っていた。

当時、いまよりも遙か雪深かったから、本当の正月を味わったモノだ。


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