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2010年09月30日
9月
9月ももう終わる。
一年は早いもので、昨日、田植えをしたように思う。
4月に苗を育て、5月に田植えをし、管理をして、9月に稲刈りを迎える。
始めるときは、とても長いように思うが、終わってみれば早い。
9月との別れは、10月との出逢いである。
おそらく、そうして幾年もの歳月が流れたのだろう。
日々の移り変わりは、そうしたものであって、人の手の届かないところにあるのかもしれない。
単なる1日の日替わりが、なぜか、遠い時間のながれと、結びつくのはなぜだろう。
そして今日も1日が終わる。
投稿者 t_butta : 23:55 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月29日
コシヒカリ
ことしのコシヒカリの収穫が終わった。
長い稲刈りだった。
雨が時々降り、予定よりも一週間ほど延びた。
幸い、気温が下がって、品質にはほとんど影響はないもよう。
秋が深まってゆくこのプロセスは、何か、大切な時期のように思う。
毎年行われる事なのに、何か、感慨深いものがある。
投稿者 t_butta : 23:35 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月28日
PCの日
パソコン記念日だそうだ。1979年9月28日にNECがパソコンブームの火付け役となったPC-8001を発売したことに由来しているらしい。
自分が、始めてパソコンを見たのは、1984年にホームスティしたミネソタ州の農家だった。
使っていたパソコンは、発売間もないマッキントッシュのモノクロモニターとの一体型だった。
酪農と畑作をしている農家の親爺さんは、毎日の収穫物や仕入れた資材のデーターを入力し、モデムで回線をつないでニューヨークのセンターに送っていた。
毎月、集計データーが送られてくるということだった。
サイロに預けてある穀物は、そのパソコンで市況を見ながら売っていた。
おそらく、シカゴの穀物相場だったと思う。
自分がパソコンを購入したのは、1987年だ。
それ以来、凄まじい深化をとげているのだが、農家レベルの利用は、そのアメリカの時の利用のレベルだ。
おそらく、都市から遠隔地にいる農業者は、その情報や様々なコミュニケーションの方法として、その重要性が増しているのに、その活用が十分といえるだろうか。
機械が進化しても、その利用が重要だというのはいうまでもない。
投稿者 t_butta : 11:25 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月27日
刈り取り
今年は雨が続き、ようやくコシヒカリの刈り取りもあとわずかとなる。
天候に逆らえないとはまさにこのことである。
あと少しばかりの晴れを祈るばかりである。
。


投稿者 t_mobile : 19:31 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月26日
ゲーテと知友
ゲーテの話を知友にしたら、自分も感心があったと。
それも何十年も前のこと。
どこかで、核心の関心は、同じかもしれない。
ちなみに、その話は、どこまでも続いた。
投稿者 t_butta : 19:09 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月25日
交流と提携
低生産性で時間がかかり、リスクが多い農業。
ゆえに、生活者の理解が必要。
それを様々な考え方や栽培の方法、農業のあり方を示し、交流や提携によって関係をつくる。
ひとつの方法として、重要な意味を持つ。
投稿者 t_mobile : 17:12 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月24日
BIO
これだけあるが、代表的なのは、BIO(ビオ)というマーク。
それから、もうすぐ、統一されて、EUの有機マークになるとか。
やはり、EUは連合政府の機能が働いており、戦略的だ。


投稿者 t_mobile : 12:02 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月23日
タオル大の農地
規模が小さくて、タオル大の農地と呼ばれている。
能登の千枚田で田の数を数えたら一枚足りなかったとか、菅笠の下になって見えなかった。それくらい小さい話と同じ。
兼業農家の割合が七割に近い。
日本とよく似ている。
ヘッセン州農業省のデータ。

投稿者 t_mobile : 16:49 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月22日
OECD
フランスのパリに本部があり、日本代表部もある。
OECDには、90人ほどの日本人が勤務し、代表部には日本から、40人ほどの人がいる。その多くは日本の政府機関の職員が派遣されている。
農業分野では、「グリーン成長」、「気候変動」、「農業が持つ公共財としての側面」が、主要課題。

投稿者 t_mobile : 06:11 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月21日
たまには
いいこともある。
と思うのは、自分だけだろうか。
浮き沈みの激しい現代にあっては、そのバランスをとることすら難しい。
うまくいくなど贅沢な話で、いろいろとその変化にどう立ち向かうかが精一杯。
時代は激流化して、さらに、その流れを増すに違いない。
しかし、それに抗うことは止めて、木の葉のように流れに身をまかせてみるもいいと。
そうすれば、必ず木の葉は、流れが静かな溜まりに舞い込み激流が収まるまで、そこに留め置かれる。
いは、流れに抗わず、しづかにその身を委ねるとき。
そうすれば、すべてがよく観える。
自らは、木の葉だと思えば、けっこういいと思える。
そんな思いこみもたまにはいい。
by Freiburg
投稿者 t_butta : 15:06 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月20日
MOT
農業にも必要な時代になった。

投稿者 t_mobile : 23:58 | コメント (0) | トラックバック
長い1日
長い1日が終わった。
投稿者 t_mobile : 05:16 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月19日
敬老の日
敬老の日がなぜ秋か。
ある地域で、その疲れを慰労したことにはじまるといわれている。
敬老いう想いも、いまでは、どこか、騒々しい日本の中に紛れ込んだようにおもう。
さて、改めて、敬老の日を迎える。
投稿者 t_butta : 08:20 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月18日
非敗
負けなど無いと云うこと。
これはまた、自分にとって新たな概念だった。
とかく勝ち負けや比較によって違いを表し、トップであることの優位ばかりが目に付くような社会となった。
その称賛ばかりがあって、そのことはそのものは、絶対的な善のような賛美をされている。
しかし、その背後には、その少数の勝ち組の何倍もの負け組と勝手にいわれているものがあるということ。
しかし、非敗の思想は、その優劣は、一つの指標でしかないということを言っているように思う。
あるひとは、やめなければ、負けたことにならないといった。
勝ち負けは目的ではなく、何を成したかによる。
皆が優れてゆくことを望むが、そうはならない。
そうすれば、そのことに対する姿勢が意味をもつのだろう。
定量化し、数字や何かで勝ち負けを決めるのは、もうそろそろ止めにして、総意として何をどうするか、考える時代に入っていると思う。
投稿者 t_butta : 23:27 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月17日
秋雨前線
秋雨前線が停滞している。
台風が来て、前線を追い払うと、秋晴れになる。
前線は、暖かい空気と詰めたい空気の境。
詰めたい空気が暖かい空気の下に潜り込んでいるとか。
秋晴れは、空気のきめ細かさが違う。
秋の香りは、わらのにおい。
雑草の香り。
虫の音。
投稿者 t_butta : 23:23 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月16日
かぶら
種を播いて数日
真ん中の写真の手前に糸のようなものが見えるのは、オブラートのテープ。
ここに種を二粒一定の間隔で入っていて、芽が出る。
一番下の写真は、雨でたたきつけられて芽立ちが悪くならないように、籾殻を撒いて土が締まるのを防ぐことをしてある。

投稿者 t_mobile : 23:51 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月15日
ぴょんぴょん
さすがに逃げ足が早く、携帯のカメラでは追いつかない!
ぴょんぴょん飛び跳ねて、藁の影に隠れる。
一坪に数十匹いる。
虫を食べていたのだろう〜か?
さて、彼らは何処に行く?

投稿者 t_mobile : 23:16 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月14日
知識プロセス
データ→情報→知識→知恵→

投稿者 t_mobile : 05:24 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月13日
雨
秋雨前線の影響で雨が降った。
稲刈りは、2割ほどすすんだばかり。
晴れを望むばかり。
投稿者 t_butta : 10:10 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月12日
稲刈り体験
あいにくの雨の前に終了!




投稿者 t_mobile : 16:44 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月10日
稲刈り日和



投稿者 t_mobile : 15:01 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月09日
サンマルッアーノ
火にかけると美味しくなる。

投稿者 t_mobile : 03:34 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月08日
『新しい公共』
台風一過、白山の南側を通過したせいか、殆ど風は吹かなかった。
雨は、この加賀平野の乾田でさえ、貯まり水になるしくらいたくさん降った。
さて、今日は、そんな少し気持ちに余裕のある日に、O大のK氏から依頼を受けたテーマのレポートに触れてみる。
少し、小難しいが・・・
農ある世界における『新しい公共』の創生課題というテーマでレポートを書いた。
中世の惣村からはじまる日本の集落を基盤にした。
集落は、ある意味、その千年の歴史の中で作られている。
もちろん、米作りは、1500年~2000年前と云われている。
その時代から、その公共の機能は、集落にあった。
この新しい公共とは、次代に向けた新たなモデルとしての社会機能を指していると思う。
ソーシャルファンドもその一端である。
ある意味、政策の中で論じられている公共とは、狭義かもしれない。
なぜなら、公共とは主体者が1人ひとりだからだ。
いずれにせよ、サービス提供の主体者がその住民であることは、この社会にとっての本意なのだろう。
公共とは、それが、公共ということを忘れることなのかもしれない。
そういった意味では、集落は、それそのものである。
投稿者 t_butta : 17:29 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月07日
台風
台風が到来している。
雨が降る。
予測進路は、石川あたりで上陸となっている。
いずれのところでも被害が少なければよいが・・・
今回は雨台風のようだ。
投稿者 t_butta : 23:16 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月06日
カレー
なんでもカレー味。
カールのカレー味に似ている。


投稿者 t_mobile : 01:17 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月05日
あるブログ
あるブログに、誠実な人を政治家として育てないといまのままではダメと書かれていた。
確かにそう思う。
しかし、誠実な人が総理大臣になれるかというと、これまた、どうなんだろうと思う。
そんな易々と、政治家になれるものではないし、政治は、社会の全ての問題を扱うから、かなり幅広い専門性も必要だ。
今を見るに、やりたい人と、やらせたい人は、こうも違うものかと考えてしまう。
どこかの党の問題ではなく、社会の問題として意識を持つべきである。
自分たちの生活を制御するのは、
まずは、自分たちでしかないとことを忘れてはならない。
このブログのオーナーこそ、適任者の1人かもしれない。
投稿者 t_butta : 15:23 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月04日
秋の夜長
日が少しずつ短くなってきた。
夏至をずぎてかなり経つ。
秋の夜長に、読書といければいいのだが、どうも本は苦手である。
書式はいいとしても、長さがそれなりに長い。
大体200ページはある。
読書が好きな人にとっては、それくらいがいいのだろうが、どうもこちらは、あの長さが中途半端に思える。
好奇心をかき立てる何かがある本はまれにあるが、それ意外にはなかなか手が出ない。
人の話や、生物の動き、といった社会現象にとても関心がある。
特に、その分野を極めた人の話は、好奇心をそそる。
というのも、自らの発声で相手に伝えなければならないからだ。
どんなふうに抑揚をつけて、話すか。
おもしろい。
秋の夜長に人の話を聞くとなれば、どんな話がいいだろう。
投稿者 t_butta : 23:04 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月03日
収穫
今日、早稲の刈り取りをした。
いよいよ、稲刈りシーズンの突入。
さて、今年の出来は・・・
投稿者 t_butta : 22:24 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月02日
代表
論ずる立場にはないが、マスコミは、民主党代表選挙を連日報じている。
いわゆる誰がなるかで、国が変わるという。
国が変わるというのは、いったいどういう事なのか。
「変えられる」とよくいうが、変えてほしいの願望が、変えられるということになっているだけのような気がする。
変えるということは、具体的にどの程度変わり、変えるのかによって、有権者は判断をしいてるはずだ。
とすれば、今回の代表も、従来のマニフェストの範囲の中でしかない。
だだ、それ以上の政変が起きるのではないかという「好奇心」によって劇場化しているように感じるだけであると思う。
変える中身と規模や程度が示されてこそ、本当の選択ができるものである。
日々の生活は、何円の世界で生活をし、ちょっとしたサービスの違いや、良さの違いで消費行動をしていることからすれば、これほど粗いマニフェストは大雑把云わざる得ないし、それを見分けるのは難しいし、一般の者にとって、政治の内側は、わからない。
代表という選出は、正確に云えば国民の民意の届かないところにある。
投稿者 t_butta : 23:26 | コメント (0) | トラックバック
2010年09月01日
113年間
ニュースで、この夏の日本の平均気温は、平年より1.64度高く、過去113年間で最も暑い夏だったことが気象庁のまとめでわかりましたと伝えていた。
スーパー猛暑というメディアもあった。
とんでもない暑い時代に入ったのかもしれない。
ひしひし思うのは、暑さによって、人に元気がなくなっていると云うこと。
バテるを超えてしまっては、持たない。
おそらくこの記録は特別な事では無くなっているのではないか。
今年の秋冬はどうなってゆくのだろうか。