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2010年12月31日

年越し蕎麦

はじめて、蕎麦屋から年越し蕎麦を買う。

手打ちの更科蕎麦に出汁と紫色の辛味大根まで付いている。

ゆで時間は三十秒以内。

美味しかった!


投稿者 t_mobile : 23:45 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月30日

2010年

この年は、どんな年だったか。

何はともあれ、年を送ろう。


時は、誰にも差別無く、平等に、与えられ、消えてゆく。


投稿者 t_butta : 23:58 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月29日

21世紀

21世紀になって10年が終わろうとしている。

20世紀のモデルが大きく変わった。

インターネットは当たり前になったし、国際情勢も変わった。

各国のリーダーも世代交代した。

変わらないものもあった。


この10年の総括は、このあとの90年の21世紀を見るときに意味をもつのではないか。


変わるからよくて、変わらないからわるいというものではない。

しかし、変わるべきもの、変わらざるえないもの、変えるべきでないものの取捨選択が求められている。
これは、この節目に限ったものではない。

農業は、ある意味20世紀は、困難がありながらも良かった時代。この10年は、混沌とした時代であったように思う。
いまからの未来は、本格的な選択の時代に入るのではないか。
いるものいらないものがはっきりするようにも思う。

ある方が、資本主義というのは、外部化である と云われていた。
確かに、効率や機能分化がすすめば、外部化が起き、断絶がついてまわる。
いいかえれば、断絶こそが外部化なのかもしれない。

農業は、家族経営という経済性も社会性も人間性も未分のなかに生業としてあり方が存在した。
それを産業化する、または、機能分化した法人にするというような動きは、断絶をうむことになるだろう。
その断絶をどのように消化してゆくか。
未分と分離は、どうあるべきか。

おそらく、共同ではなく協働であり連携である語意になにかその気配を感じる。

21世紀になって十年も経ち、21世紀という古く感じるが、それこそ、現代の史跡を辿ることが、生き様のゆらぎとなって、明日への一歩を歩むことになるのかもしれない。


投稿者 t_butta : 03:51 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月28日

今朝

2日間降り積もった朝。

白山の方は明るい。


峠を越したようだ。


投稿者 t_mobile : 21:24 | コメント (0) | トラックバック

干し大根

パイプハウスに屋根だけかけた大根干場


寒風にあたりよく干せている。


投稿者 t_mobile : 09:50 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月26日

雪の印


今日は、雪印の日らしい。
1938年12月26日に、物理学者の中谷宇吉郎らが人工的に雪の結晶を作ることに成功したことに由来とか。

中谷宇吉郎は、加賀市の出身である。

雪に結晶があるなど、だれが思いつくか。
とてもロマンチックな話でもある。


こどもの頃、本当に雪に結晶があるか、虫眼鏡で見てみたことがある。
よくは見えなかったが、それらしきものを見た覚えがある。


降雪の時期になって、ここ石川の天気は、冬らしくなってきた。

雪の印をいろいろ見てみるとおもしろいかも。


そう、雪にも窒素成分があり、大雪の年は米が穫れるというのは、寒くて害虫が減るだけではなく、雪によって肥料分が供給されるという説もあると聞いた。


雪とは、まこと不思議な物体であるのは、空からひらひらと降り注ぐその雪を見てみるとわかる。

投稿者 t_butta : 23:33 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月25日

荒天

白山を望む。


昨日から雪景色に変わる。

西風が強い。

この鉛色の空。

好きな風景の1つ。



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2010年12月24日

インターンシップ

昨日、一昨日からインターンシップ生が2名来られている。

この不確実な時代にあって、ものづくりを主体とした弊社に関心がある方々である。

何をどのように理解されるかはそれぞれであるが、農と食は、人類に不偏なものであるのは事実である。


何を選び、何に身を於くか、そんな選択ができるのは贅沢なことでもある。


私は、学校でるにあたって、この職業を選択したわけではない。

正直いって行くところが無かった、いや、行く能力と気力が無かったのではないかと思う。
父と母の下で、黙々と農作業をこなす日々だった。嫌な仕事もあったが、良し悪しにかかわらず時間は過ぎていった。

叱られても、叱られても、どこかへ行けるわけでもなく、働くしかなかった。


今こそ、ぶった農産と名乗って仕事をしているが、そうなるつもりもなく、一軒の農家にしか過ぎなかった。


きっと、いまも、それは変わりない。
地域に生き、その自らの生き様を振り返るとき、周りにいる集落や地域の方々の恩恵を得ずには、今は無いことをひしひしと思う。


仕事の選択という、ある意味、重要な判断は、慎重に、かつ大胆にしてほしいものである。
そんな選択をせずして、ここまで至ってしまった自分は手本にはならないが、自分の想いは、与えられたものを淡々と、その期待に応えるべく、実現と結果へ向けて、歩みを進めるだけだと思うのである。

投稿者 t_butta : 23:55 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月23日

大祓

今日、集落の林郷八幡神社で大祓が執り行われた


お詣りに行った。


集落の方々が集まられて、お詣りをした。





投稿者 t_mobile : 18:57 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月22日

雪下出麦

ゆきわりて むぎ のびる という雪の下で麦が芽を出す冬至の末候のことを云う。
冬至は、小寒の前までを冬至というが、12月23日は冬至日と云って、世界各地で冬至祭が行われると聞く。

どうもクリスマスがイエスキリストの降誕とされているが、冬至祭(ユール)が起源という説もある。

いずれにしても、年の瀬で、皆が無事に太陽が一番弱まった時を過ぎ去ったことを祝う節目でもある。


また、ゆず湯に入り、冬至がゆや南瓜を食べて風邪をひかないようにしたりする。


季節は、毎年変わりなく訪れるが、一年一年、その時は二度と訪れないから、大切にしてゆかなければならないと思う。

投稿者 t_butta : 23:58 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月21日

食と農林漁業の再生実現会議幹事会

今朝、官邸で幹事会があった。

いよいよ実務的な議論が始まったという感じである。

現在の状況は、この課題にふさわしい状況とはいえないが、おそらく、1年後にこの話をしても時既に遅しという状況になる可能性が高い。

社会の注目の課題であるが故に、鉄は熱いうちに打てということである。


来月に入り、具体的に議論が進むことになると思うが、未来の日本をどう描くか。


資本主義の外部経済化と市場経済化が、社会の営みとどのようにバランスをとるかにかかっている。
とすれば、それは、個別の利害ではなく、新たな考え方や手法を創造し、関係者にとって最適な環境をつくることが命題となる。

その一つが、ビジネスとソーシャルとのクロスでないかと思う。

経済性と社会性の新結合が、次代の価値を創る重要な要素となるのではないか。

投稿者 t_butta : 23:26 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月20日

夜学

気がついてみれば、もうそれなりの歳になってしまった。
自分は、いつも若いと思っていたが、大台にのって始めて気づくこともあると思う。

社会に出て、家の手伝いを始めて、毎日が両親とともに仕事も生活も四六時中一緒に働いていた。
それこそ、寝てもて覚めても、仕事の連続だった。
今もある意味変わりはないが、それでもその時、このままではダメだと思った。

親という慈恵の中に、身を置いていれば楽だと思ったが、何か物足りなさを感じる時もあった。


その結果が、仲間と共に勉強会を始めた時だった。
当時の石川県の農業試験場の小林一経営科長(現鳥取大副学長)に夜学勉強会を無理を頼み込んでやってもらった。
吉田一義(吉田農園)、東浩一(ひがし農場)、林浩陽(林農産)の同世代の仲間だった。
いまは、それぞれ農場に商号をもってやっているが、当時は皆、個人だった。

木曜日の午後7時から10時と時間は決まっていた。
日中の農作業のまま駆けつけることもあり、腹が減っていたら、パンやカップ麺を片手に話を聞いた。

当時の石川農試は、警備の都合上、10時に施錠されるため、時間が来たら一目散に部屋を出た。

そのあと、立場を超えたアグリネッワークという自主勉強会を立ち上げた。


今は、それぞれがそれぞれの立場になり、めったに会うことはなくなったが、なにか、時間を駆け抜けていった時だった。


昼間の農作業だけでは一人前にはなれないことを実感したときである。
夜の時間をいかに大事に使うか、食事をしながらでも、そうでなくても、人や、何かから学ぶ時間が大切であると思う。

きっと、夜の勉強は昼の農作業にとても重要な働きかけをしたと思う。
昼の仕事が1とすれば、夜は1で、その夜の1が昼の1を2倍以上にしてくれると思う。
合計すれば3倍くらいの成果を創り出すことになったのではないかと思う。
1×1≧3

投稿者 t_butta : 23:51 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月19日

神社清掃と万雑

今日は、集落の産土神社である林郷八幡神社の境内清掃が朝からあった。

幸い良い天気で、乾いていて落ち葉も集めやすかった。

集落の氏子総出でやると1時間くらいで5~6百坪はあろうかという境内がみるみるうちに綺麗になる。

すがすがしい気持ちになる。

午後は、上林集落の生産組合の総会に、その後は町内会の総会、そして懇親と午後いっぱい使って行われた。
これを昔から万雑(まんぞ)といった。

一年の締めくくりをする総会である。

来年の新年総会の役員やその進め方を決める。


議長をたて、書記2名が記録し、同じく2人の議事録署名員までいる。

今年は、町内総会の議事録署員に任命された。


集落の人たちと、顔を合わせ、いろいろと地域の問題や将来について意見を交わす。


集落の一員の重さを感じるときでもある。

投稿者 t_butta : 23:55 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月18日

手帳

コレクトという手帳メーカーの来年の手帳。


紙幣サイズでお財布の中に入る優れもの。

薄く、厚さも気にならない。

来年からは、新しい手帳で心機一転。


投稿者 t_mobile : 01:54 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月17日

野々市物産展

野々市町主催の物産展が東京有楽町で開かれている。

レセプションに参加してきた。

同級生である粟町長をはじめ関係者がご列席されている。

JAののいちの金田組合長や、これまた同級生の北川営農部長も出席されていた。

政府に所用で上京されていた谷本石川県知事も飛び入りで来場された。


東京野々市会の皆さんもたくさん来られていた。

みなさんいろいろ聞くと、近所の出身者やゆかりのある方々ばかり。


特に若い人が傑出していた。

なんとも郷土色の濃い集まりだった。

投稿者 t_butta : 23:57 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月16日

寒く

寒くなってきた。

今年は、どんな冬になるか。


蕪は順調に生育している。


投稿者 t_butta : 23:35 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月15日

山田錦

酒米の代表格、山田錦。

特別栽培で栽培している。

何年か前、委託醸造を試みたが、諦めた。

そのあと、この米を麹に使うようにした。

麹の糖化で、とてもいい甘酒ができるようになる。

これをいまかぶら寿しに使っている。

このところ、評価してくださる方が増えたように思う。


たかが麹だと思わず、丁寧にやってみると、いままでにないいいものが出来たのである。


それは、種まきにはじまる栽培を特別栽培という石川の栽培される山田錦には難しい技術に取り組んだことが功を奏した。

山田錦の栽培を始めて、もう10年は経つだろう。


いいものをつくることはもちろんだが、さらにそこにある新たな機能を見つけて昇華させることが求められる。


加工品を始めたころ、生活改善普及員のTさんにいろいろ教えてもらった。
そのころは手探りだったが、30年が経ち、ようやく何かきちんとしたものをお届けできるようになりかけている。まだまだ手探りではあるが。


この酒米の良さは、麹の出来が見た目だけでなく、潜在的に高いことだ。
見た目にいい麹は、あるていどの米なら出来るが、糖化の力がこれだけあるものは、今までに経験はない。

手探りで少しずつ改善を進めたい。

投稿者 t_butta : 23:32 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月14日

切迫


時々、知り合いの方から電話を頂く。

困窮した農業経営の実情を訴えられる。


たしかに、ここまで来てしまった事実がある。

しかし、このままではダメだということである。


この切迫感は、日本農業が地盤沈下していることを意味する。

新たな地固めが必要だと思う。

自らを批判し、それを改革へのエネルギーに変える。
と思う。

投稿者 t_butta : 23:27 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月13日

政治と政策

政治と政策は違う。

私は、農民であるがゆえに、その本分は、農業である。

政策について、特に農業に関連する政策は、あれこれ、解らないながらに考え、意見を求め、考えてゆきたいと思うが、政治を考え、する立場にはない。


あたりまえの事かもしれないが、本業にこそ、その本業の役割がある。


混沌とした社会にあって、着実に生きようとするその生物の営みは、興味深い。

何しろ、人が食するために、忠実にその生命体の生長は進んでゆく。


こんなに寒い冬空でも、蕪は少しずつ肥る。

風邪を引きそうな環境でも、その生き様は着実であることを忘れてはならない。

そんな血の通った政策であることを願う。

投稿者 t_butta : 04:06 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月12日

農業と経済

農業経済の専門誌。


原稿を書いた。

稚拙なコラムになった。


いつになっても上手くならない。



投稿者 t_mobile : 03:32 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月11日

乾燥

空気が乾いているのか、とても肌が乾燥する。

いつもこの時期になると、肌が乾燥し続ける。

雨がふっていても空気はかわいているのだろう。


というのも、大根が良く干せるからだ。

投稿者 t_butta : 22:08 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月10日

電飾

イルミネーションが美しいのは、向かいの家。
この季節になると、美しい電飾が静かに輝く。

ふしぎなもので年末に向かうといたるところでイルミネーションが美しく映える。


寒さを紛らわす?のか、行く年へのエールなのか、いずれにしても夏にあると暑苦しいの事実だ。

この電飾も良いが、静かに部屋の明かりを落として、静かに何かを考えるのもいい。

北欧の人たちは、明かりを大切にする。

各家では、キャンドルをつけ食事し、団欒を楽しむ。

明かりは、何かを照らす役割があると思う。

灯籠流しも、仏壇にお参りするときも、

時代が流れてゆくなかで、電飾はどうかわってゆくのだろうか。


向かいのお宅の電飾も今年は去年と違う。

投稿者 t_butta : 23:43 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月09日

冠雪

大粒のあられが降る。

山は白く冠雪。


いよいよ冬だ。


昔なら、10センチくらい積もってもおかしくない。

冬は冬らしく。

寒くなってゆく。

投稿者 t_butta : 11:11 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月08日

特醸

極上の天然鰤でつくったかぶら寿しがようやく樽だし出来るようになってきた。


寿司屋でも使わないような良いものもある。

中トロや大トロなど腹の前のほうを中心に使う。
尻尾のほうは、このかぶら寿しでは使わない。


特醸かぶら寿し。


あくまでも、私の感想だが、普通のかぶら寿しとは別物である。
普通のかぶら寿しも、今年は旨い。

だから、想像していただければ解ると思うが、別物という旨さは、食べた方にしかわからない。

今年は、鰤の仕入れで苦労したからなおさらである。


ただ一つだけ、注意書きをすれば、鰤も蕪も麹もすべて生きもの。
だから、ものによって、とろこによって、ときによって、味は変わるものです。


限定生産であるから、もうかなり予約を頂いている。


いつも、ほんの少しだけ頂いて、また、来年へと楽しみをとっておく季節が来た。

投稿者 t_butta : 23:10 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月07日

閉塞成冬

そら さむく ふゆとなる
空がとじて冬となることをさす

今日は大雪


この冬は 今の時代を映しているように思う

暖冬とはいえ 日本が置かれている閉塞さと寒くなってゆく状況に似ているとも思った


しかし、寒くて永い冬であっても、それは必ず春を迎える証


寒さは、寒さを生かした生き方をすることが求められているのではと感じる


冬を前向きにとらえ それを楽しみにも変えて生きてきた先人の知恵をあらためて学ぶ時代ではないかとおもう

投稿者 t_butta : 05:38 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月06日

規模

稲作農業の世界では、規模の概念は大きく変わりつつある。
10ヘクタールや20ヘクタールが大規模だった時代は昔のこととなった。

いまは、大規模は100ヘクタール以上。
中規模は30~50ヘクタール以上で、それ以下は小規模といってもよい。

世間で言う兼業経営で3ヘクタール未満は、零細経営といえる。
なぜなら、それは、生産者米価が下落して、専業として成り立つ規模が大きくなったからだ。
30ヘクタールでも、おそらく売上は三千万円程度だとすれば、夫婦二人で中型稲作体系で成り立つ努力ができればよいが、機械化や生産方法が、大型機械体系になるため、残る所得は減る。

3ヘクタールで、売上300万円だとしても所得として残るものはせいぜい百万円あるかなしとなると思う。

とすれば、規模とは組織の形態であったり、雇用の状況によると思う。

100ヘクタールの大規模経営は、売上が一億円規模で、雇用が数人
30~50ヘクタール以上は、家族+α程度
それ以下は、家族経営
10ヘクタールを下回ると、家族も主業者1人の従事に補助労働となるのが一般的である。
3ヘクタールの米作りは完全に多分野との兼業化しかない。
それを零細といっていいかわからないが、そういう概念になりつつあると感じる。

決して小規模がいけないとも思わないし、大規模が悪いとも思わない。

だだ、規模の経済最適性からいうと、夫婦二人で15~20ヘクタールが一番低コストだというデーターはここ近年変わらない。

要は、自らの目的と、社会で果たすべき役割が果たせて、かつ、未来になにか建設的に働きかけられるかということではないかと思う。

規模の議論というより、中身の議論が重要で、定量的な尺度として使いやすい規模の議論から、機能の議論へと変えてゆく必要がある。


それは、農業者の農業への取組の意志と意識がどこにあるか、を明示することではないかと思う。


規模というより稲作経営の機能として、何を果たしてゆくか。

ここに着目すべきだと思う。

投稿者 t_butta : 17:00 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月05日

魚に師と書いて、ぶりと読む。

出世魚の代名詞だ。

この石川界隈では、鰤を歳暮に使う人もいる。


この時期になると大きいものは、13~15㎏という大きいものもある。
10㎏を超えれば大きい。


この天然鰤は、脂が口当たりがよく、マグロほど濃厚ではなく、甘さのある柔らかい味。


関東では、ワカシ(約15cm)→はまち・イナダ(約40cm)→ワラサ(約60cm)→ブリ(1m以上)というらしく、同じく石川では、コズクラ→フクラギ→ガンド→ブリという。

相撲のしこ名にもなっている鰤。

出世にこだわる日本社会の名残ともいえる。


農家は、農家以上出世しないので、そんな出世のことは気になりません。
というか出世しない農家の生き方が、いいと思うのです。
大根寿司に使われている身欠き鰊のように、個人的には、枯れた感じがいいですね。

投稿者 t_butta : 23:00 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月04日

緩やかな集まり

金沢市内で、農業者やその関係者との懇親会があった。

なんとなく、忘年会という趣旨だが、20年前くらいに、「アグリネットワーク」という立場を超えた勉強会をやっていた。


やり方は、その方法と同じで、立場を超えて交流しようというものである。

キーワードは、農業と地元である。

決して、地元のなれ合いの会ではない。


あらたな未来をどう切り開いていこうとするかという会である。


若い人たちも、長らくご無沙汰しいた人たちとも会った。

少なくとも、この会では、私は賞味期限切れ間近の立場なので、若い力に、主軸をおくことが大切だと思っている。


農業も捨てたものではないと思う青年ちもいて、頼もしかった。


ちょうど、その20年前を思い出すような会だった。


人の心に立脚して集うというのは、なぜか立場を超えることが出来ると思った。

来られなかった方々や、お声かけが届かなかった方々にも、また声をかけてゆきたいと思う。

投稿者 t_butta : 23:55 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月03日

農業政策

いままで、このブログでは、政策について深く踏み込んでコメントはしてこなかった。

それは、ここが個人的な意見を強く主張する場ではないと考えている。
今後も、この考え方は変わらない。

批判をする暇があったら、それを改革し実現するために動くことが重要だと考えているからである。


ただし、今回、食と農林漁業の再生実現会議の構成員に任命されたことを期に、問題の整理はやってみようと思った。

それは、
政策であっても、多様な立場があり、それは表裏一体である構造を理解する。
メディアやマスコミだけに頼る政策議論には、何らかの欠如があるかもしれない。
政治と政策が混同されて理解されることを再考する必要がある。
限りなく正確な事実認識に立脚してものごとを理解する。
国際益はもとより、国益や国民益、ひいては地域益や農業者益となにかという益利配分の最適化とは何か。

ということを考える必要であると思うからである。


現場から地域と世界を望む努力をしてみること。
これが、次代の農業者に課せられた責務ではないかと思う。


投稿者 t_butta : 22:20 | コメント (0) | トラックバック

2010年12月02日

農道

わが集落の水田の脇にある農道の多くはは、官地である。
近年基盤整備されたものは、地番が入っていて面積も把握できるが、わが集落のように大正時代の耕地整理のものは、水田の地番や面積はあるが、農道や用水に地番や面積は無い。


これは、おそらく測量の正確性や全体面積と個別の農地面積の整合性のことなどが関係していることや、登記のための手間などが理由で、そうなったのではないかと思う。

農道は、その農地の隣接者が地域の取り決めなどによって自主的に管理をしている。

これは、自分の家の前の道を自分が掃除し修繕しているようなものである。

いまは、専業兼業にかかわらず農家がその管理をしているが、いくら農地の利用者である受益者がやるべきだといっても、そののうち農地の利用者がその管理を出来なくなるか、または、する必要がないというときが早晩来る。

人の構造や農業が変わってゆくなかで、全ての枠組みを再考する時に来ている。


たかが、農道のことと思うかもしれないが、美しく社会に機能する農村であるために、考えるべき事は多い。

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2010年12月01日

赤白山


ここのところ天気が良く、白山の雪景色が美しい。

夕方、夕焼けに映る白山は、赤富士ならぬ赤白山だった。

それは、富士の雄大さとは、また違う趣で、その優美な稜線に西からあたる夕日が、赤く冠雪に差し込む情景は、見とれるに値するものであった。


全く、写真を撮ることを忘れ、夕日が沈んでゆく時が流れた。


台風やさまざまな災害から、屏風のように守ってくれる白山は霊峰にふさわしい山であり、恩恵をもたらす自然の姿である。

投稿者 t_butta : 23:03 | コメント (0) | トラックバック