2014年06月21日

今日2014年6月21日の日経

今日の日経経済面にコメントが掲載された。
ただし、タイトルはニュアンスが違う。
「全中の監査権限廃止を」となっているが、全国監査機構が、会計と業務の行っており、それを分離又は、監査法人に会計部門を委託することによって、農協の独立性を担保するのがねらいである。
廃止するかは、全中の考え方によるべきものであり、一組合員として意見を述べたに過ぎない。
議論は、重要である。
また、さらに、内部に於いて建設的な意見が必要だとも思う。
私も、長幼の序に拘りすぎて、口をつぐむこともあるが、共生と成長という難しい選択を迫られているのは事実である。

現場で生産にたずさわり、農業持続のために骨を折りたい。

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2012年12月13日

今日の毎日新聞記事

今日私が取材された記事が毎日新聞に載っている。(石川の毎日新聞には載っているか確認していないですが・・・)

2012衆院選:経済政策の争点 TPP毎日新聞 2012年12月13日 東京朝刊

取材されたものなので、ベースの記事は、記者が書かれたので私の本意はすべて伝わっているとは言い難い。


TPPの議論は、まるで肝試しで闇を歩くような話だ。何かいいことがあるから、やってみようと。

交渉ごとだから、具体的なことはいえないのかもしれないのだが、少なくとも各政党はシュミレーションを国民に提示すべきだ。

それから、それにかかる財源、必要となるシステムなど、具体的施策が示されていないのは、議論の深さが足りないのだろう。

だとしたら、判断の材料が少なすぎて、議論にはならない。


我々農業者は、農政問題の過半を占めるともいえる米問題の本質である生産費問題に具体的に解決策を講じはじめている。
コスト低減と収量増加の技術開発だ。これは、農業界の常識を越えた技術開発に取り組みはじめたことである。現在、コシヒカリを生産する生産者で、150円/㎏のコストを実現している生産者がいる。これをさらに進めて100円/㎏を実現しようというものだ。不可能を可能にしてきた産業界の力を借りて、取り組む方法があるとかんがえている。

また、所得補償は、農業経営に与える構造的課題は、そのお金が、経営の恒常的収入になり、補助金に依存する経営になることだ。
EUのOECD本部でヨーロッパの所得補償の話を聞いたとき、今の日本のような単純なデカップリングは、納税者から大批判を浴び、緑(グリーン)の所得補償政策に切り替えた。しかし、それも行きすぎているといわれた。

やむをえず、支払うことになっても、地域内の農業を活発にすることのインセンティブ(費用と便益を比較する人々の意思決定や行動を変化させるような誘因)を付与すべきである。

それが、今ある農業委員での、農業者自身の農業への「意欲の宣言」であると思っている。

いずれにしても、対立は不毛である。新たな結合で双方が満足する結論を導き出すことは可能だと思っている。

投稿者 t_butta : 11:42 | トラックバック

2012年06月26日

中国

最近、中国の発展がめざましい。

農業も例外ではなさそうだ。

広大な面積から生まれる農産物は、まだまだ量的生産を目的としているが、少しずつ質への転換が図られようとしている。

中国の人口構造からすると少子化政策で、一旦は増えている人口もある程度のピークアウトを迎えるという話もある。

おそらく、急速な高齢者社会になるようにも見える。

農業は、人手に頼ったものから、機械や装置、生産システムと移行する考えられる。

いま、日本から、輸出の話が持ちきりだが、工業も現地生産現地消費へと移行してきているように、農業もそうなる時代は近いように思う。

中国の農業は、関心をもってみる必要がある。

投稿者 t_butta : 07:56 | トラックバック

2012年01月14日

Stay Hungry, Stay Foolish 

スティーブ・ジョブスの言った言葉である。

「Stay Hungry, Stay Foolish」は、直訳すれば、'ハングリーであれ、愚か者であれ" ということになる。

しかし、これは、彼のような謙虚でかつ、正しい道を歩み続けようとしたしたものが言うことに大きな意味を持つと思う。


なにかと、日々、自らの自我に埋没し、思うようにならない自分を振り回している自分がいる。

彼は、こうも言った。
アップルをクビになって運が良かったとも。


私は、彼のようになることはできない。
しかし、自分が自分として自分らしくあることに注力したいと思ったのである。

過去は戻らないとしたら、昨日が昨日のままであるとしたら、今の瞬間も、1秒後には過去になるとしたら、、、


今ある自分を生きるしかないと思う。

それも、ただ、ただ、

投稿者 t_butta : 23:49 | コメント (0) | トラックバック

2011年12月13日

西田幾太郎著 「善の研究」より

知と愛は同一の精神作用である。
それで、物を知るにはこれを愛さねばならず、
物を愛するにはこれを知らねばならぬ。

投稿者 t_butta : 21:48 | トラックバック

2011年10月07日

幾多郎

西田幾多郎(1870‐1945 年)『善の研究』から

私は何の影響によったかは知らないが、早くから実在は現実そのままのもので
なければならない、いわゆる物質の世界という如きものはこれから考えられたも
のに過ぎないという考を有っていた。まだ、高等学校の学生であった頃、金沢の
街を歩きながら、夢みる如くかかる考に耽ったことが今も思い出される。そのこ
ろの考がこの書の基ともなったかと思う。
(西田幾多郎『善の研究』岩波文庫, 昭和12 年, 1937, P.7)

経験するというのは事実其儘そのままに知るの意である。全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。純粋というのは、普通に経験といっている者もその実は何らかの思想を交えているから、亳も思慮分別を加えない、真に経験其儘の状
態をいうのである。たとえば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるのか、我がこれを感じているとかいうような考のないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。それで純粋経験は直接経験と同一である。自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している。これが経験の最醇なる者である。
(同上 P.13)

我々は少しの思想も交えず、主客未分の状態に注意を転じて行くことができるのである。たとえば一生懸命に断岸を攀よずる場合の如き、音楽家が熟練した曲を奏する時の如き、全く知覚の連続perceptual train といってもよい。また動物の本能的動作にも必ずかくの如き精神状態が伴うているのであろう。これらの精神現象においては、知覚が厳密なる統一と連絡とを保ち、意識が一より他に転ずるも、注意は始終物に向けられ、前の作用が自ら後者を惹起しその間に思惟を入るべき少しの亀裂もない。これを瞬間的知覚と比較するに、注意の推移、時間の長短こそあれ、その直接にして主客合一の点においては少しの差別もないのである。
(同上 P.16)


西田は、石川の人である。
したがって、このような人がなぜ、石川で生まれたか。
それが、世界的にみても、傑出した哲学であるということ何か。
「主客未分」ということを教えてくれた。

投稿者 t_butta : 17:12 | トラックバック

2011年05月16日

Y氏

携帯が鳴った。

某Y氏からの電話である。


彼とは、ここ数年前の出会いであるが、時々、電話をもらう。


仕事の話のような、そうでないような、何となく話をする。


何かを探り合うこともなく、ただ、話す。


今日は、ブログのことだった。


純農業的な書き込みへの感想だった。


人として何を軸にしているか、あまりこのブログでは明らかにしてこなかった。


その瞬間の心にあるものを綴ってきた。

だから、単純な、在る意味あたりさわりのないものとなる。


こんな一大事に、お気楽な内容で良いのかと自問もするが、そうはいっても、日々、農作業に追われる現場こそが、農業であり、そこにある1つ1つのものを、あまり意味づけず、ありのままに、何となく書く。

それでいいと思うのである。

なぜなら、人の日々の生活は、そんなに大きな発見もなく、かといって平和と言うほど無事な日々ではない。

多くのことを抱え、かつ、その対処に追われる日々である。


その情景の奥行きに、Y氏は、関心があるのかなとも思う。

田植えが終われば、次の仕事が待っている。


日々というものは、だれにとってもそういうものであるのだと思うのは、自分だけかもしれない。

投稿者 t_butta : 23:40 | コメント (0) | トラックバック

2011年03月06日

認定農業者制度

 本制度は、農業経営基盤強化促進法の第1条の目的に、
「我が国農業が国民経済の発展と国民生活の安定に寄与していくためには、効率的かつ安定的な農業経営を育成し、これらの農業経営が農業生産の相当部分を担うような農業構造を確立することが重要であることにかんがみ、育成すべき効率的かつ安定的な農業経営の目標を明らかにするとともに、その目標に向けて農業経営の改善を計画的に進めようとする農業者に対する農用地の利用の集積、これらの農業者の経営管理の合理化その他の農業経営基盤の強化を促進するための措置を総合的に講ずることにより、農業の健全な発展に寄与することを目的とする。」
と定義されている。
 そもそも、認定農業者制度は、政策集中のためにつくられものであるが、
今回、認定農業者制度は、改革に必要な要件として、単純な制度の是非論ではなく、吃緊の課題として、日本農業のリーダーを育成すべき観点から、本質的に何が問題で、その結論をどのように仮説するのか、改革する立場から示すべきである。
それは、制度と運用の視点にわけて問題を整理すべきである。


制度と運用の視点
・認定農業者制度または農業経営基盤強化促進法の制度問題として本質的に何があるのか。
・認定農業者制度の運用問題として、農業経営基盤強化促進法の目的達成を阻害しているものはあるのか。あるとすれば何か。

目的と成果の視点
・本制度は、政策として具体的に何を目的に作られたものか。
・その目的は達成できたか、または時間軸を含めどのようなゴールイメージを描いてきたか。
・本制度の成果は、定量的に測定できるものか、または定性的なものか。
・本制度は、政策評価の対象として取り扱われてきたか。

認定と方法の視点
・認定は、農業者が策定した計画認定であって農業者認定ではないのではないか。
・認定に際して、経営改善計画には規模要件、売上所得要件等だけでよいのか。
・認定農業者の位置づけに農業者の理解にばらつきはないか。
・認定について市町村ごとの差違はないか。


課題
・実質上、政策インセンティブが、スーパーL資金でとどまっているのではないか。
 →他の政策施策との具体的リンクをわかりやすく示すべき。
・スーパーL資金利用率はこれでよいか。
 →資金の利用率の高低は、政策との自律性と依存性の背反とも理解できる。
・経営のスティタス資格であれば、それに即した農業者認定にすべきではないか。
 →計画認定か農業者認定の整合。
・地公体によって、政策執行にばらつきがありすぎ、是正ができるのか。
 →県域をまたぐ経営が増加していることから、執行の是正も含めて国が関与すべき
・政策集中の是非は、食と農林漁業の再生実現会議の議論を待つべきではないか。
 →戸別所得補償制度等(消費者負担から納税者負担)との政策集中の整合。
・経営改善に資する政策集中が必要であれば、明確な政策インセンティブを示すべきではないか。
 →資金のみならず、新たな成長の機会を人材育成視点からすすめるべき。
・経営の自主性・自律性・裁量性と政策コントロールののバランスを十分とるべきではないか。
 →経営が政策支配されないような予算バランス・制度設計とすべきではないか。
・60歳以上の認定農業者が30%となっており、新制度に移行することは難しいのではないか。
 →比較的高齢な認定農業者について、既存の制度を残すほうがメリットがあるのではないか。

投稿者 t_butta : 17:59 | トラックバック

2011年01月24日

公民館


子供の頃、公民館は子供の遊び場であり、年寄りをはじめとする大人の憩いの場であった。

もちろん鍵などかかっていなかった。

今は、集落の公民館も新しくなり、もちろん鍵がないと入れないし、使用許可も必要となっている。

昔は、公民館のことをクラブといった。

芸能会もあったようだ。


いま、子供達は、学校から帰ってきても殆ど外で遊ばないし、他の家にも行かない。
もちろん公民館や神社で遊んでいる姿も見かけなくなった。

この公民館を集落の庁舎兼文化施設として活用すれば、いろいろできると思う。

それが、新たな公共での集落や町内会を中心とした自治行政法人である。

学童保育やディケアなども出来うる。


今一度、いろいろ考えてみるのもおもしろい。

投稿者 t_butta : 04:25 | コメント (0) | トラックバック

2011年01月22日

O君


いつもO君にいろいろ手伝ってもらっている。

彼は、お父さんの転勤で新潟を中心に日本海側を転勤したとか。

金沢にも幼稚園のころ居たらしい。

お父様は港の仕事だったらしく、金石に住んでいたとか。


近くに住んでいたというと愛着が湧く。

気質の穏やかな芯のある人物だ。

25ほども年の違う彼でも気さくに付き合わさせていただいているのが、いい。


きっと、良い仕事ができるようになってゆくと思う。

投稿者 t_butta : 22:07 | コメント (0) | トラックバック

2011年01月21日

食と農林漁業の再生実現会議2回目

今日、官邸で菅総理出席のもと、2回目の食と農林漁業の再生実現会議があった。

思い切って、10項目を提案してみた。


以下要旨。

農政課題としての必要条件の議論は必要であるが、農業が成り立つ上で必要となる十分条件を具体的に示す必要がある。これは、日本がどこまで何をやるか出来るかということを範囲と水準について示すことにある。
また、課題を以下の2つに分けて考えるべきである。
自 農業者自ら取り組むことが可能な課題
他 自らでは解決が難しい課題に分離すべき

①水田経営規模の仮説(20年後姿)
②リタイア・廃業を強いられる経営の補償
③価格下落による補償の水準
④地域政策として自治行政法人(集落等)の設立
⑤スマートファーミング構想
⑥生産環境の整備
⑦農業金融の枠の拡大とセーフティネットの整備
⑧農業委員の専従化
⑨輸出の制度整備充実
⑩技術イノベーションとコストイノベーションを実現

この戦略が実態の農業経営に機能する実務性が確保される必要があり、農業における新たな政策戦略組織を構築し実効性を担保すべき。
ビジネスとソーシャルのベストミックスをどのように構築するかという水田農村農業のビジネス&ソーシャルモデルについて充分条件である国としての戦略モデルを構築すべきである

投稿者 t_butta : 23:59 | コメント (0) | トラックバック

2011年01月19日

学生

近くの県立大学の学生さんたちに話す機会があった。

大学3年生。


食品を専攻している人たちだった。


明らかに就職活動に入らんとしているとろこである。


就職はともかく、人生に目標を持ってほしい。

小さなことであっても、いいと思う。


仕事は、長い時間続けてゆくことが必要だから、結構地味でもいいと思う。

仕事を楽しくできることを学んでほしいとも思う。


農業もしかり。
結構いろいろ覚えなければならないし、苦労も多い。

しかし、どこかでおもしろさをつかんでいけば、それなりにやりがいも出てくるものだ。


そんな高邁なエールは送れなかったが、健闘を期待したい。

投稿者 t_butta : 22:15 | コメント (0) | トラックバック

2011年01月15日

TPP論説


食と農林漁業の再生実現会議の委員を任命されたからという訳ではないが、TPPの賛否についての私個人の直接的コメントは必要ないと思っている。
政治が判断すべき問題であり、これについては、選挙によって判断を仰ぐべきだと思っている。
しかし、そのことより、日本の農業がどのように成り立つかということに重大な関心を持っている。
または、国家として成り立つために何をすべきか、それを阻害している要因や発展させるべきものは何か、また、統廃を求められるものがそれでよいのか、といった全体最適をどのようにとるかという立場を基本に、農業者のあるべき姿を訴求する立場にあると考えている。
下記にあるように、様々な論調があり、全体としては、開放派が明快な論陣を張るのに対して、保守派は、もう一つ明快さに欠ける傾向にある。

しかし、それは、工業と農業という明らかな体質の違いでもあり、形式知を主幹とした工業と、暗黙知を主幹とした農業の違いでもある。

今や、明快さが問われ、明文力や表出力が、その論説の説得力となる。
長々とした文脈での理解は、この拙速な社会には向かないとされる。

私も、農に身を置く1人として30年が経とうとするが、ようやくわかり始めたことも多い。


この議論に必要なのは、短期的な利害のみならず、30年50年、ひいては100年の議論である。

毎回1時間ほどの会議では、どんなことが深められるのか、不安でしょうがない。
平場の農業者が本質的に議論する場が必要であると痛感する。

以下の論調については、それぞれ賛否を示すものではなく、ネットを検索して目に付いたものを取り上げてみました。

「TPPを奇貨にFTA交渉を加速化する/玄葉光一郎(国家戦略担当大臣)2010年12月14日 VOICE」

「「自由貿易ありき」で政策立案を/飯田泰之(駒澤大学准教授)2010年12月15日 VOICE」

「産業界と手を組み「黒船」を迎え撃て/高木勇樹(NPO法人 日本プロ農業総合支援機構 副理事長)2011年1月14日 VOICE」

「TPPをめぐる俗論を反証する緊急出版『TPP反対の大義』より 農文協トップ>主張> 2011年2月号 」

「「日本再生」の道を探る主要各紙の年頭社説 【ジャパン・ブリーフ / FPCJ,No. 1044】2011年1月4日」

「TPP交渉 農業政策の再構築が先だ(2010年11月9日午前7時02分)福井新聞」

「【突然のTPP】若者が参入できる農業を (11月17日)論説・あぶくま抄 福島民報」

「TPP参加検討 農業へ十分な気配りを(11月3日付) 佐賀新聞」

投稿者 t_butta : 04:15 | コメント (0) | トラックバック

TPP論説


食と農林漁業の再生実現会議の委員を任命されたからという訳ではないが、TPPの賛否についての私個人の直接的コメントは必要ないと思っている。
政治が判断すべき問題であり、これについては、選挙によって判断を仰ぐべきだと思っている。
しかし、そのことより、日本の農業がどのように成り立つかということに重大な関心を持っている。
または、国家として成り立つために何をすべきか、それを阻害している要因や発展させるべきものは何か、また、統廃を求められるものがそれでよいのか、といった全体最適をどのようにとるかという立場を基本に、農業者のあるべき姿を訴求する立場にあると考えている。
下記にあるように、様々な論調があり、全体としては、開放派が明快な論陣を張るのに対して、保守派は、もう一つ明快さに欠ける傾向にある。

しかし、それは、工業と農業という明らかな体質の違いでもあり、形式知を主幹とした工業と、暗黙知を主幹とした農業の違いでもある。

今や、明快さが問われ、明文力や表出力が、その論説の説得力となる。
長々とした文脈での理解は、この拙速な社会には向かないとされる。

私も、農に身を置く1人として30年が経とうとするが、ようやくわかり始めたことも多い。


この議論に必要なのは、短期的な利害のみならず、30年50年、ひいては100年の議論である。

毎回1時間ほどの会議では、どんなことが深められるのか、不安でしょうがない。
平場の農業者が本質的に議論する場が必要であると痛感する。

以下の論調については、それぞれ賛否を示すものではなく、ネットを検索して目に付いたものを取り上げてみました。

「TPPを奇貨にFTA交渉を加速化する/玄葉光一郎(国家戦略担当大臣)2010年12月14日 VOICE」

「「自由貿易ありき」で政策立案を/飯田泰之(駒澤大学准教授)2010年12月15日 VOICE」

「産業界と手を組み「黒船」を迎え撃て/高木勇樹(NPO法人 日本プロ農業総合支援機構 副理事長)2011年1月14日 VOICE」

「TPPをめぐる俗論を反証する緊急出版『TPP反対の大義』より 農文協トップ>主張> 2011年2月号 」

「「日本再生」の道を探る主要各紙の年頭社説 【ジャパン・ブリーフ / FPCJ,No. 1044】2011年1月4日」

「TPP交渉 農業政策の再構築が先だ(2010年11月9日午前7時02分)福井新聞」

「【突然のTPP】若者が参入できる農業を (11月17日)論説・あぶくま抄 福島民報」

「TPP参加検討 農業へ十分な気配りを(11月3日付) 佐賀新聞」

投稿者 t_butta : 04:15 | コメント (0) | トラックバック

2011年01月14日

OECD の日本農政改革案

OECDが提案した農政改革案。

読みかけだか、なかなかクリアな整理だ。


投稿者 t_mobile : 07:47 | コメント (0) | トラックバック

2010年11月27日

包括的経済連携

日本が、「国を開く」と11月9日の閣議で決定した。


ちょうど、NHKの「龍馬伝」と重なる。

時代の変遷は、ドラマ仕立てで全てが伝わるわけではない。
特に、どこにでもある出来事や平民の生き様は、伝わりにくかったのではないかと思う。
特に、それによって苦しめられた人たちの声や思いは、その立場の弱さで伝わることも少なかったのではないだろうか。


昨今のTPP議論、ここで重要なのは民意ではないかと思う。

その民意をどう的確に酌みとり、伝わるように民意に働きかけるかである。


どうなるかわからないものに賛否は示せない。
このような局面こそ、それを主導し考える当事者の考え方がどう示されるかにある。

意図がどう働くのか、また、何をもってゴールとするのか、そういうものを示してこそ、社会の賛意を得られるということだと思う。


経済連携は相手のある話であるから、これまた、戦略的である。


日本にとって、最適の社会を持続的に構築するためには、何を成してゆくか。
これが答えであると思う。
国益と国民益を踏まえた農業のあり方は何か。
もちろん、農業者も国民の1人であることは云うまでもない。


投稿者 t_butta : 23:09 | コメント (0) | トラックバック

2010年10月26日

人と自然

自然は、人を必要としないが、
人は、自然を必要とする。


ある俳優の言葉。


おそらく、人間の独りよがりに警鐘を発したものだ。

投稿者 t_butta : 23:42 | コメント (0) | トラックバック

2010年10月23日

そうこう

霜降(そうこう)は、二十四節気の1つ。太陽の黄経が210度の時で、露が冷気によって霜となって降り始めるころとされている。


秋も深まり寒くなってきた。

あの暑さは何処にいったのかと思うほどである。

今年の秋は、能登で松茸が例年になく良くとれているとか。

秋を楽しむ季節になってきたということ・・

投稿者 t_butta : 23:05 | コメント (0) | トラックバック

2010年10月22日

吃音

吃音(きつおん)というが、俗的にはどもりという。この俗的な表現は差別用語にもなっているらしく、使わないことが望ましい。

今日は、国際吃音理解啓発の日で国際吃音者連盟・国際流暢性学会などが1998年に制定したとなっている。

私は、小学校からいままで、この吃音である。
特に、中学高校がひどかった。

なんとも言い難いものがある。
今でも思い出から消えない高校の国語の時間。
本読みを順番にさせられるのだが、自分の番がまわってきて、たかだか教科書の数行が、40分くらいかかっても詰まって読めなかった。
最後には、チャイムがなり授業がおわった。
読めるまで終わらせてもらえなかった。

いまでは、それなりに理解が進んでいると思うが、当時は、ただ喋るのが下手だというような理解だった。


いまも、予期不安に襲われると、詰まって喋れなくなる。


最近しか知らない人たちは、そんなと、云うが、それは、そんな状況である。


おそらく、世の中には多くの吃音の人たちがいて、そのある意味葛藤していると思う。


だいぶ良くなった自分でさえこれくらいの事を思うのだから、それは、当事者は、大変なものだと思う。

良くなることにプレッシャーを感じるなら、このままでいいと考える、思う、ことがいい。

きっと、自己への開放の一歩かもしれない。

それは、
ここにいる、
自分に、
静かに、
呟いて。


金大のとある教授のサイト

投稿者 t_butta : 21:24 | コメント (0) | トラックバック

2010年09月18日

非敗

負けなど無いと云うこと。


これはまた、自分にとって新たな概念だった。


とかく勝ち負けや比較によって違いを表し、トップであることの優位ばかりが目に付くような社会となった。

その称賛ばかりがあって、そのことはそのものは、絶対的な善のような賛美をされている。


しかし、その背後には、その少数の勝ち組の何倍もの負け組と勝手にいわれているものがあるということ。

しかし、非敗の思想は、その優劣は、一つの指標でしかないということを言っているように思う。


あるひとは、やめなければ、負けたことにならないといった。

勝ち負けは目的ではなく、何を成したかによる。

皆が優れてゆくことを望むが、そうはならない。

そうすれば、そのことに対する姿勢が意味をもつのだろう。


定量化し、数字や何かで勝ち負けを決めるのは、もうそろそろ止めにして、総意として何をどうするか、考える時代に入っていると思う。

投稿者 t_butta : 23:27 | コメント (0) | トラックバック

2010年08月03日

農業者

農林水産省で、「農業者大学校の今後のあり方に関する意見交換会」があった。

坂井会長と、20期生の木内博一君と出席した。

事業仕分けで「廃止」となった農業者大学校だが、それをどうするかという話


日本の農業政策の中核に、農業者の育成は据えられている。

しかし、未だその育成方法の確立は十分でない。

大きな構造の変化で、農業経営の淘汰が進み始めていて、それにどのように対処するか。

経営の規模や数、その中身。
形態、あり方。
それを行う人。


まだまだ詰めは足りないように思う。

国家的に地域や食と農をどうするのか。

地方分権という曖昧な責任配布論で解決するのか。


グローバルな社会構造が急速に進む中、内政問題に終始している場合ではないし、内外をどうつなぐかでもある。

投稿者 t_butta : 01:25 | コメント (0) | トラックバック

2010年06月11日

何かにつけ

人の話を聞くことが多い。

素直に、そうですね。
と相づちをうつ。


人と人の会話は、おもしろい。


思いが重なり合うと、話が弾む。

そうでないときもある。


それもまた人である。


会話とは会って話すもの。


何気なく過ぎてゆく、言葉。

気にしてみるとおもしろい。

投稿者 t_butta : 23:21 | コメント (0) | トラックバック

2010年06月04日

ようやく

暖かくなってきた。


天気が不安定なのは変わりない。

いずれにしても、今年は要注意。


暖かくならないと植物は育たないと実感して春だった。



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2010年06月01日

農地

規制・制度改革に関する分科会で、農業生産法人の要件緩和が議論されている。

これは、特区制度で、農業生産法人の要件の緩和をして、農業に従事・関係しない株主が過半以上や、役員が常時従事しなくても農地の所有を認めようというもの。

これは、上場企業、外資企業にも所有を認めようという方向の考え方。


農業内部では、あまりその議論がされていないし、この議論がどのようなことにつながるかということについても、起こりうる事について踏み込んだ議論は少ない。


日本として、農業のありようをさらに明示し、ビジョンを示すことによって、農地のありかたも規定される。


現行の農地は、法律に書かれていない集落のルールによって管理されていることや、社会に果たしている機能を明らかにしてゆく必要がある。

その上で、利用と所有を考える必要がある。


投稿者 t_mobile : 23:40 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月11日

電話

2月6日のブログを見られて、電話を頂いた。

尊敬する先生からである。


米政策の裏側にある意図と仕組みについてである。

前政権と今政権の政策でどこが変わったかということだが、具体的には、その意味を聞かせてほしいという内容。


内容は、説明すると長くなるので省くが、こうして、時々電話を頂く。


大学の教壇に立ちながらも、かならず現場に立ち返って、小さなコトでも、お問い合わせいただくこの姿勢は、なかなかまねできない。


わからないことを長幼の序を超えてお尋ねいただくことは、その昔、青年団活動をやっていた頃、友達に誘われて1、2度行った『白山僻村学校』で出会った考え方でもある。

そこに、当時から変わらない一説がある。
今は、白山僻村塾となった理念・校則である。


-人間本来の姿として次の二項は厳守する。人生の先輩には生きた実績と知恵の重みで後輩は争い得ないことを自覚し、長幼の序は厳守する。但し、先輩といえども思慮分別十全ではあり得ない以上、後輩が論戦を挑み論破することは歓迎する。この二項もまさに教育そのものに他ならない。-
(抜粋)

当時、二十年ほど前にこの学校ができたてのころ伺った時は、高橋治氏が我々に指導を頂いた。
また、真野響子さんや神田紅さんも来られていた。

今も続いていると聞く。


この時々かかる1本の電話は、長幼の序と論戦論破を思い起こさせる大切なコトである。

また、かかってくることを楽しみにしている。

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2009年09月16日

希望

昨日、NHKで希望学についての特集があった。

希望がもてない社会、そうしている社会構造。

この原因は、何か。

また、希望を持つことによって得られるものとは。


生きる希望をどのように得ていくか。

心ない出来事や関わりには、どのように向き合えばいいか。

人間である以上、生と死について考えなければならない。

これはまた、われわれ人間に課せられた運命でもある。

どのように生きてゆくか、この生き様こそが、自らの人生の足跡でもある。


私は、どうして生きるか。
なぜ生きるか。

未だ、このような事を問うには未熟すぎ、そのような意味すらない人間かもしれないが、それを問うことに足を踏み入れなければならない。
それが、未熟者であるがゆえの試練と使命かもしれないと思うのである。

稲刈りをやり始めて、およそ40年弱、仕事として米づくりを手伝って27年が経つが、未だ稲すらろくに作れないこの事態をどのように処するかも、また、避けられない重要な事実である。


父は、16から正式に家長になり、57年、手伝いを入れると60年余稲にたずさわってきた。

この時空にどのように、展望と希望を持ち続けたか、足跡すらたどれないでいる。

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2009年07月24日

いろいろ

ありました。
急来の恩師も来訪がありました。

知友から、批判もされました。苦言も呈されました。


旧仲とは、いろいろ話しました。

新店の大将はお客さんでした。

逃げない隠れない、真実です。


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2009年07月12日

曖昧模糊

物事の本質や実態が、ぼんやりとしてはっきりしない様子。不明瞭なさま。曖昧と模糊は同義。
というらしい。


曖昧は、ある時は必要で、ある時は不必要となる。
明確・明瞭であるべきときの、曖昧は、この上なく不要である。

自分は、きっぱり判断したり、明快な表現を苦手とする。
ゆえに、煮え切らない表現は、いかにいやなものかとつくづく思う。

曖昧さは、時には、必要な表現であり、その意味や構造も学術の研究対象となっている。

何事もも複雑系の構造で、一つの要素だけで、意志決定はできないが、それを分化させ、必要な要素をセグメントして、明瞭に組み替えることがもとめられる。

右に進むか、左に進むか、分岐点にたち、二つしかない路を選ぶとき、選ばなければ、進むことはできない。
滞留するのみだ。

無常にも、滞留すれば右にも左にも行けない。
左の路と右の路がその先でつながっていないとすれば、同じゴールに進むことはできない。

前に進むなら、右か左のどちらかを選ばなければならないのである。
そういう意味では、曖昧模糊は、それこそ、何とも云えない。

日々、どうなっていっても、その日々を受け止めてゆくしかない。
それが、自らにできる唯一のことである。

投稿者 t_butta : 18:18 | コメント (0) | トラックバック

2009年06月15日

構造


見える出来事には、背景がある。
事実関係の背後には、要因がある。

ひとの欲求は、真・善・美。
しかし、実際は、この反対側にも現実がある。

現実があるから、欲求が生じる。
ただし、単純な対峙する関係の往復ではない。

複層的な関係や無関係によって、成立する構造がある。


いま、社会は、見える化することに進みつつある。
見える化が進めば進ほど、見えないモノが増えると言っても良い。
社会構造の深層は、さらに深まる。
見える化は、探求という欲求をさらにかき立てるが、それによって深化がすすむ。

自らの深化は、自らへの好奇心によって生まれる。
単なる好奇心ではない。
人が人として、どのように生きるか。または、生きているか、生きてゆくか。
という、ある意味、意味のない問いでもある。
さらに、その生き様は、探求という冒険である。

冒険家であるか否か。
そんなことを言っていたひとがいた。

人の構造のプロセスは、冒険家であるかということかもしれない。

投稿者 t_butta : 23:20 | コメント (0) | トラックバック

2009年06月13日

巡り合わせ

若い頃、こんな自分になるとは思っていなかった。
農業は、ものづくりにをすることに精進しているだけでよかった。
つくれば売れた時代だった。

いまでは、つくる事も今まで以上に重要であり、さらにそれをどのように理解していただくか。
ただ、知ってもらうだけでは、それだけでしかない。

ものの表現をどのように高めてゆくか。

そのためには、パートナーに助けられることが多い。

10年来の知人である彼とは、ずっと付き合いがあったが、ここに来て友人を超えて、兄弟のような関係になる。

巡り合わせは、新たに出逢うことだけを意味してない。
いままで、何とはなしに付き合いがあった人であっても、急速に関係が深まる。
また、まったく数日の付き合いでも、多くの言葉や時間を必要としない人とも出会う。

人生には、どこに何があるかわからない。

真摯に時代と向き合い、次代とともにやるべきことをやってゆくだけである。
農業も、ようやく社会を変えるための重要な役割を担うときが来た。

低成長持続型社会における欲求は、社会貢献ということではないか。
さらに成熟した社会構造を欲求する社会にとって社会起業家がもとめられている。

縮小均衡をどのように理解し、そのためのプロセスを実現するか。
どこにいても、何をしていても、実現できることなのかもしれない。


そのとき、縁という巡り合わせを大切にしたい。

投稿者 t_butta : 13:30 | コメント (0) | トラックバック

2009年05月25日

日本の難点

宮台真治著。
幻冬舎新書。

彼は、首都大学東京教授。
社会学者。

何年か前に、金沢で会ったことがある。


そのころ少し傾倒していた時があった。

それ以来、縁が遠のいていた。


たまたま、本屋で見かけた。


彼は、社会学者として前衛的な論調で、注目を集めている。
サブカルチャーなど、社会の裏側までを領域とした文壇のみならず、いろいろなところで、ユニークな活動をしている。


この「日本の難点」も、抽象度を巧みに変化させた視点が面白い。

吉本隆明の若い頃にも似た、ダイナミズムを感じる。

投稿者 t_butta : 23:41 | コメント (0) | トラックバック

2009年05月19日

コミュニケーション


人と人は、毎日会っていても、意思疎通ができているとは限らない。

人が人の中に、はいるのは何が機会となるのだろう。

自分の扉をいつ開けるのだろうか。


いや、開けている。


人と人のかかわり。

18世紀に綿布を織り始めたイギリスで、蒸気機関が使われ始めた。
織物工場がはじまりを担ったとか。[NHK教育の産業革命の番組]


それは、何か、大きな変化が生まれることかもしれない。

出会いとコミュニケーション。
今は、情報・知識革命。

投稿者 t_butta : 02:08 | コメント (0) | トラックバック

2009年05月18日

このブログ

私のブログは短い。

単純な内容。

なぜ、短いかって??

そう、長い文章は読まれないから。


だから、語意や文脈でよんでもらえるようにしたいから。


深い夜は、もうすぐ明ける。

もうすぐ。

投稿者 t_butta : 03:23 | コメント (0) | トラックバック

2009年04月15日

ブログ

先日、親しくさせていただいている某病院の薬剤部長とお話しさせていただく機会があった。
彼は、このような稚拙なブログを毎日ご覧頂いているとのこと。
ありがたい。

その方は、医薬品については詳しく、学会出席や研究を熱心にされていると聞いている。
いわゆる識者である。
いろいろと健康についてアドバイスもしていただける。
知性と品格、そしてユーモアを持っている。

専門性と人格が、求められる資質であろう。


農業の分野でも、そのような資質を高めてゆくことができればと思う。

どれだけ、名が売れても、その求められる本質は変わらないと感じた時である。

投稿者 t_butta : 23:01 | コメント (0) | トラックバック

2009年04月03日

世も世なら、


痛々しい弱者を救済するすべをどこかにやってしまったのだろうか。

ホームレスが増えてゆく現実を無視できるだろうか。
諸外国では、ストリートチルドレンが多数いる国もある。
日本はどうだろう。

弱者は弱者になりたくてなったのか?

病院も、施設も、介護も、どこか杓子定規で、、、


これが愛ある儒教の国といえようか。
宗教を失ったともいえる。


これは、自らへの警告である。

投稿者 t_butta : 15:58 | コメント (0) | トラックバック

2009年04月01日

人間らしく


新年度がはじまった。

ここに来て、いろいろな動きがある。
激しい経済の変化にご苦労されている方も多いが、新しい芽も吹き始めている。
経済ばかりでなく、文化が重要だという指摘。
社会は、経済と文化によって成り立っているから、そのバランスをどうとるかにかかっている。
損か得かということも大事だけれども、それ以上に、人としてどうあるか。
そのためのエネルギーは、文化だ。
文化は、その価値観による。

プラトンがいったイデア(Idea)
その中核にある真理・善・美

宗教観を超えた人間探求の欲求は、自らの本質に向き合うすべである。

人間らしくとは、自分らしくではなく、人としての本質にある、誰もが持ち得ている深層の人間としての核となるものである。
DNAの中にあるその莫大な配列に刻み込まれた根源となる規則かもしれない。

そして、人間らしくとは、人間を問うことにほかならない。

投稿者 t_butta : 04:31 | コメント (0) | トラックバック

2009年03月31日

唯我独尊

唯我独尊は、釈迦が誕生した時に言ったとされている言葉。

これは、時に傍若無人などと同じ言葉として、誤解して使われる時がある。

ひとは、ひととして、我を尊ぶべきという意味として理解する。


理屈ではなく、体内に宿る精神に触発されるかどうか。
それが言葉である。


投稿者 t_butta : 04:36 | コメント (0) | トラックバック

2009年03月11日

悲しい、嬉しい、どんな理由かはわからないが、涙が流れる。

拉致された母といた女性との出会い。

ホームレスになってゆくひとたち。


暗天の冬空を仰ぐ。


こころがすり減ってゆく、、という後輩、木原のことば。


病床をみるとき。

その切なさと、無念さ、入り交じった想い。

涙は、そんな味だけではないと、思いたい。


投稿者 t_butta : 22:53 | コメント (0) | トラックバック

2009年02月25日

ものさしの違い


農業の産業化が話題になっている。

欧州も米国も、中心は家族経営。


はたして家族経営が産業化できるのか。

たぶん、工業や商業のものさしに農業を当てはめようとしても無理があるのではないか。

農業には農業のものさしがあめに違いない。


豊かな農村と農業であってほしい。

投稿者 t_butta : 23:10 | コメント (0) | トラックバック

2009年01月31日

恩師


今日、元校長先生の見舞いに行く。

若い頃、暖かく見守ってくれた。
いろいろと話も聞いてくれた。
家にも来られた。

学生を愛していた。

日本の農業を憂いていた。

現場を一番にしていた。

人生の師であった。

静かで温和しく、しかし、それなのに存在感は大きかった。

人の実力を現していた。

人生の意味は、どこにあり、何を成すべきか、言葉ではなく、時間を共にすることで教えられた。

勝ち負けではない。

共生、協成、の意味を教えていただいた。

人生に影響を及ぼした、大切なひとりである。

投稿者 t_butta : 07:42 | コメント (0) | トラックバック

2009年01月26日

「最後だとわかっていたなら」

最後だとわかっていたなら

貴方が、
眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら

私は、
もっとちゃんとカバーをかけて
神様に、
その魂を守ってくださるように、
祈っただろう・・・

貴方が
ドアを開けて、
出ていくのを見るのが
最後だとわかっていたら

私は、
貴方を抱き締めて、キスをして
そしてまた
もう一度呼び寄せて、
抱き締めただろう・・・

貴方が
喜びに満ちた声をあげるのを
聞くのが最後だとわかっていたら

私は、
その一部始終を
ビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう・・・

確かに
いつも明日はやってくる・・・

見過ごした事も取り返せる
やり間違えた事も、
やり直す機会がいつも与えられている・・・

「貴方を愛している」と言う事は
いつだってできるし

「何か手伝おうか?」と声をかける事も
いつだってできる・・・

でももし
それが私の勘違いで
今日で全てが終わるとしたら

私は今日、
どんなに貴方を愛しているかを
伝えたい・・・

そして
私達は忘れないようにしたい・・・

若い人にも年老いた人にも

明日は誰にも
約束されていないのだという事を・・・

愛する人を抱き締めるのは
今日が最後になるかもしれない事を
明日がくるのを待っているなら
今日でもいいハズ・・・

もし
明日がこないとしたら、

貴方は

今日を後悔するだろうから・・・

微笑みや抱擁や
キスをするための
ほんのちょっとの時間を

どうして惜しんだのかと・・・

忙しさを理由に
その人の
最後の願いとなってしまった事を
どうして、

してあげられなかったのかと・・・

だから
今日貴方の大切な人達を
しっかりと抱き締めよう

そして
その人を愛している事

いつまでも大切な存在だという事を

そっと伝えよう・・・

「ごめんね」や「許してね」や、
「有難う」や「気にしないで」を
伝える 時 を持とう・・・

そうすればもし、
明日がこないとしても
貴方は

今日を、後悔しないだろうから・・・


ノーマ コーネット マレック


"If I Knew It Would Be the Last Time"


If I knew it would be the last time
That I'd see you fall asleep,
I would tuck you in more tightly
And pray the Lord, your soul to keep.

If I knew it would be the last time
That I see you walk out the door,
I would give you a hug and kiss
And call you back for one more.

If I knew it would be the last time
I'd hear your voice lifted up in praise,
I would video tape each action and word,
So I could play them back for one more.

For surely there's always tomorrow
To make up for an oversight,
And we always get a second chance
To make everything right.

There will always be another day
To say our "I love you's",
And certainly there's another chance
To say our "Anything I can do's?"

But just in case I might be wrong,
And today is all I get,
I'd like to say how much I love you
And I hope we never forget,

Tomorrow is not promised to anyone,
Young or old alike,
And today may be the last chance
You get to hold your loved one tight.

So if you're waiting for tomorrow,
Why not do it today?
For if tomorrow never comes,
You'll surely regret one day,

That you didn't take that extra time
For a smile, a hug, or a kiss
And you were too busy to grant someone,
What turned out to be their one last wish.

So hold your loved ones close today,
And whisper in their ear,
That you love them very much and
You'll always hold them dear.

投稿者 t_butta : 03:07 | コメント (0) | トラックバック

2009年01月25日

主客未分のマエカワ

今日は、企業のケースをひとつ。

前川製作所の顧客との関係は、おもしろい。
顧客の力によって、サービスやノウハウを創り出す。

顧客との関係性が意味を持つ。

「私たちは、自分たちを世界の一部として見ていて、世界全体との関係性の中で位置づけ
ています。このプロセスの基盤には『共創』という概念があります。これは、われわれは
決して独立・孤立して存在するのではなく、環境との関係性の中で創造されているという
考え方です。」(引用:MOTテキストシリーズ・知識創造とイノベーション」(野中郁次郎・遠山亮子編著、丸善)第2章明星大学経済学部経営学科助教授 露木恵美子著)

まさしく、農業も例外ではない。

お客様のためではなく、お客様に何をすべきか。を考えなければならない。

主客未分とは、まさしくこのことである。

投稿者 t_butta : 18:53 | コメント (0) | トラックバック

2009年01月06日

今日はの日だとか。
1月6日のいろ(16)から来るらしい。

色は、色だけでは発色しない。
光があるからだ。

暗闇では色は見えない。

赤青黄色の色料が混じると黒になる。

赤青緑の色光が混じると白くなる。


人は、人がいて人となる。
相対するものがあって、そのものがわかる。
混じって黒となるときもあれば、白となるときもある。
混じり方だ。


北陸の冬は、まるで毎日が薄暗い日々が続く。
どんよりとした、暗い冷たい日々。

この抑圧された手が届くくらいの低い雲の下で生きている。
はてしなく続く鈍冬の日々。

これが、来夏来春をさらに鮮やかにする。

色も絶対ではなく、相対ではないか。


幾多郎や大拙は、どう想っただろうか。

投稿者 t_butta : 05:14 | コメント (0) | トラックバック

2008年12月31日

ゆく歳

今年も、あと僅かとなりました。

皆様は、どんな歳だったでしょうか。

いろいろな出来事や、ご苦労や、幸せや、出会いや、別れや、様々なことがあったことと思います。

時間は、無情にも、万人に等しく、その時を刻みます。

良い出来事は、大切にし、悪かったことは、それを事実として受け止め、それでよかったと受け止めることできればと思います。

いま、生きているこの事実が、自らの力そのものであり、それ以上でも、それ以下でもありません。

運も不運も、すべてが、今であります。

不運や苦しみを嘆いてみたところで、それが、そのことで少しでも良くなるのなら、それも必要でしょう。
しかし、そうなることはほぼないのが、現実です。
現実に向き合い、その起きていることを直視するしかありません。

幸せなときに苦しみを忘れます。
苦しいときに幸せを求めます。

ひとは、人として、ひとであるからには、1人では、生きてゆけないことを、折々に知らされます。
あのとき、こうしておけば良かったと後で悔いるのです。

生きることは、意味や理屈ばかりでなく、人として人であるからには、心の中にある人がもつその魂がその人を司っているのではないかと思います。

ありがとう。
ごめんなさい。
と、
心から思える。
伝えられる。
そして、実行できる。
そんな人になりたいと思います。

人生がどこに行くか、考えたこともありましたが、それは、行くところにしか行かないということに気づかされました。
どこに行くかなとどというより、いくべきして行くところにいくしかなく、それは、自らが決められないものであると思うようになりました。


ひとは、幼く、稚拙なものです。

だから、教えを請い、学び、人とかかわると思うのです。

そんな事を強く思い知らされ、悟った歳でした。


長くなりましたが、皆様にとって、くる歳が、幸多き歳でありますように祈っております。

良いお歳をお迎え下さいませ。

では。


投稿者 t_butta : 23:31 | コメント (0) | トラックバック

2008年12月26日

兄貴

きょう、久しぶりにある料理人に会った。

彼は、親切でとても心が美しい。
いろいろ教えてもらうことも多い。

芯も通っていて、素晴らしい人物だ。
料理への情熱も何倍も高い。


彼が、別れ際に、一言、兄貴!!と。

初めてひとに言われた言葉だった。


長男には、むずがゆい言葉だった。

投稿者 t_butta : 21:44 | コメント (0) | トラックバック

2008年12月17日

先輩


農業をしている先輩たちには、素晴らしい方々が大勢いる。

それは、ひとつの信念を貫き通しているからにほかならない。

損や得をお金だけ考えるのではなく、生き方や社会をもみた徳を考えているからだと思う。

まさしく農業も商い(飽きない)のひとつであるから、続いていくことがもとめられる。

そういう先輩方の背中をみてゆきたい。

投稿者 t_butta : 23:55 | コメント (1) | トラックバック

2008年12月15日

神道

今日は、神道指令が発令され、政教分離がされた日となっている。

ただ、これによって最近町内で議論になるのが、神社は宗教だから、町内で世話する必要がないと。。
町内の神社は、鎮守の森であり、地域文化である。
この問題、地域社会を崩壊させていく機会となっているのは事実。


神道指令(しんとうしれい)とは、1945年(昭和20年)12月15日に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が政府に対して発した覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(SCAPIN-448)の通称である。

覚書は信教の自由の確立と軍国主義の排除、国家神道を廃止し政教分離を果たすために出されたものである。 当初は政教完全分離を目指していたが、1949年(昭和24年)を境に適用条件が大幅に緩和された。

「大東亜戦争」や「八紘一宇」の語の使用禁止や、国家神道、軍国主義、過激なる国家主義を連想するとされる用語の使用もこれによって禁止された。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

投稿者 t_butta : 12:00 | コメント (0) | トラックバック

2008年12月04日

いのちをはぐくむ

小泉武夫さんの話を聞く機会があった。

子供も読めるようにと書いた『いのちをはぐくむ農と食』(岩波ジュニア新書) をテーマに話を聞いた。

わかりやすい話だった。ミネラルが不足してキレる状態を創り出しているという。
土壌や海水などからミネラルを吸収する根菜や葉菜・果菜と魚・海草などかおすすめだそうだ。
要は日本食生活がいいという。
お坊さんがいちばん長生きだとか。

確かに、今の畜産物の牛や豚や鶏のエサに与えられているモノの中にミネラルはあるのだろうか。
今度、畜産をやっている友人に改めて聞いてみたい。


先日、BM技術の役員会で、活性水が鉄を溶かし、植物に供給する仕組みを聞いた。
今度紹介したいと思います。


たしかに、ミネラルは微量ながらも重要な成分である。

投稿者 t_butta : 16:41 | コメント (1) | トラックバック

2008年11月10日

SFC

今日は、慶応大学湘南藤沢キャンパス(SFC)総合政策学部井上英之専任講師のコミュニティ投資の授業にMSの猪尾氏ともに呼ばれて講義に行った。
ソーシャルキャピタルの意味やそれをどう組み立てるかなどの議論。

学生の皆さんは、とっても熱心に聞いていただきました。
その時、皆さんから頂いたメッセージカード。
いろんな意見がいろいろ書いてあった。
思いのあるものが多かった。

中にひとり、この話を聞いて農場を継ぐことに決めた青年がいた。
お父さんも、脱サラ農業者らしい。
馬や牛をかっているとか。
あせらずいい農業者になってほしい。


広くゆったりしたキャンパスは、創造的な考えをつくってゆくにはとても良い場所だ。

投稿者 t_mobile : 23:41 | コメント (1) | トラックバック

2008年11月03日

11月3日

11月3日は、文化の日であるが、明治天皇が生まれた日である天長節の日でもある。この日を明治節とも云う。
これと文化の日は関係ないとされているが、天皇誕生日は、祝日になることが多い。
2月11日は、紀元節。日本書紀にある神武天皇が即位したとされる日(辛酉年春正月、庚辰朔)に由来している。
4月29日は昭和の日。昭和天皇の誕生日である。

ということと、晴れの特異日でもある。


すぐ近くを流れる手取川で起きたとされる、
手取川の戦い(てとりがわのたたかい)は、天正5年9月23日(1577年11月3日)に加賀国の手取川において上杉謙信軍が織田信長軍に大勝したとされる合戦。

これもまた、歴史である。

節というのは、ふしであり、せつである。
ひとの生き様を考える大切な時である。

天気も、人の生き方も、何もが、意味を持つ。

輪廻転生、敬土愛人、生きることの、刻の、意味をしみじみと感じる時であった。


・・・

投稿者 t_butta : 21:52 | コメント (0) | トラックバック

2008年09月17日

「ウェッジ」その後


先日、サイトの記事を見たウエッジの記者から電話がありました。
掲載内容が誠に申し訳ないということでした。

私は、組織も人も良いところもあれば悪いところもある。
存在の是非と機能の是非が混同している記事であると伝えました。

ウエッジ側は、改めて農協の良いところを含めた実態について取材をしたいとのことでした。

どの組織にとっても、その存在論と機能論があって、機能の是正すべきところは是正すべきであって、その議論はすべきであると思いますが、存在論には、それぞれの事情があり、それをとやかく云うには、それなりの立場でなければならないと思うのです。

構成員であるとか、監督者がいうのであれば、ごもっともである。
また、それが法律に依拠しているのであれば、政治で議論すべき事であると思うのです。

「ウェッジ」さんは、出来るだけ実態に忠実に取材してゆきたいという事でした。


業界の組織を論ずるとき、存在論と機能論は分けて論ずるべきで、こと、農業界については、それがいっしょになっていて、話が混同されていると思います。

人が、過ちを犯した時、その過ちを処しても、特別な事がないかぎり、人権までは処しません。
それと同じだと思うのです。


したがって、組織の社会性などは、日本の社会では評価する方法が無く、曖昧な評価でしかありません。
資本主義社会文化社会の日本は、はやくその社会性の価値評価をするべきだと思うのです。
それが、日本の優位性ではありませんか。

愚見ですが。

投稿者 t_butta : 03:27 | コメント (1) | トラックバック

2008年08月28日

アクセスログ

SEのNさんが、HPのアクセス解析をしていただいた。
当社のページでこのブログがいちばんヒットしているらしい。
1日に平均400人から500人の方が見に来られている。

そいうことからいうと、毎日書き換えていないことが本当に申し訳なく思う。
しかし、どなたが読まれているかわからないなかで、どうも筆がすすまない。

ただ、日本のこの窮状をどのように打開するか。
微力であっても力になりたいと思う。

他を批判するのは容易だが、自らが結果を出すことは容易ではない。

これからも、何か自分なりに思うこと、考えることを書き留めていけたら良いと思う。

投稿者 t_butta : 07:24 | コメント (0) | トラックバック

2008年08月14日

コメ


ここに来て、少し雨の日があったりして、猛暑からは遠ざかっている。

田んぼの出来もまずまず良い出来。

ニュースによると、愛知でコメの二期作に挑戦し始めたとか。

その昔、当農場でも、6月に麦を刈り取り、その後に稲を植えたことがありました。

ここに来て、いよいよ食糧が足りなくなる状況が来る???


今日は何の日?

専売特許の日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(特許の日 から転送)
移動: ナビゲーション, 検索
専売特許の日(せんばいとっきょのひ)は、日本で最初に特許が付与された日に因み制定された記念日。8月14日。

特許第一号は、1885年8月14日に免許された、堀田瑞松(ほったずいしょう)による「さびどめ塗料とその塗法」である。

特許及び発明に関する記念日としては、他に4月18日の発明の日がある。特許庁等による記念行事はもっぱら発明の日に行われており、専売特許の日には特段の行事は行われていない。

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2008年07月13日

世界の万人にとって平等な時間。
誰もが、1日24時間が与えられている。
しかし、その使い方は、唯一無二である。
人間も、植物も動物も、そのすべてが、それぞれの生き方をしていくのである。
どんなに悔いようが、無情時間は過ぎる。
だからこそ、その時間をどのように大切にし、また、意味あるものにできるかにかかっている。
時には、浪費することも必要だが・・
時こそ、与えられた共通の意味ある資源ゆえに、万人と共有できるものであるような気もするのである。


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日本標準時制定記念日(日本)
1886年7月13日に、東経135度を日本標準時とし、1888年1月1日よりこれを実施するという内容の勅令第51号「本初子午線経度計算方及標準時ノ件」が公布されたことに由来。これによって兵庫県明石市の正午が全国のどの地域でも正午となるということに定められた。

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日本標準時


明石天文科学館、親時計日本標準時(にほんひょうじゅんじ、JST: Japan Standard Time、ジャパン・スタンダード・タイム)は、独立行政法人情報通信研究機構の原子時計で求めた協定世界時を9時間進めた日本の標準時間である。日本時間、中央標準時などとも呼ばれる。

協定世界時 (UTC) との差を示す場合などには、「12:31:40+0900 (JST)」(日本標準時で12時31分40秒の場合)などと表記される。

なお2007年現在、法令に基づき一斉に時計の針を進める(あるいは戻す)形での正式な夏時間(サマータイム)は実施されていない。ただし過去には、1948年から1951年、5月(1949年のみ4月)第1土曜日から9月第2土曜日までの間、夏時刻法に基づきサマータイムが施行されていた。なお、2004年~2006年(2006年で終了)の7月~8月に北海道札幌市で試行されたいわゆる「北海道サマータイム」は、標準時を変えずに始業・終業時刻を1時間早める試みで、通常の意味での夏時間ではない。

日本では独立行政法人情報通信研究機構がJSTを管理・提供し、日本全国で日本放送協会(NHK)などの放送局やNTT(117)の時報にこの時刻が用いられている。

JSTと同じ標準時
インドネシア東部標準時 (EIT)。インドネシア東部(イリアンジャヤ、モルッカ諸島など)。
韓国・朝鮮標準時 (KST)。大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国全土。
パラオ時間 (PWT)。パラオ全土。
東ティモール時間 (TPT)。東ティモール全土。
ヤクーツク時間 (YAKT)。ロシアのヤクーツク周辺。夏時間あり。
夏時間
イルクーツク夏時間 (IRKST)。ロシアのイルクーツク周辺。
モンゴル夏時間 (MNST)。モンゴルの大部分。
オーストラリア西部夏時間 (AWDT)。オーストラリアの西オーストラリア州。(ただし2006年から2009年までの試験的施行)
なお、オーストラリアは日本と時差が小さいが、日本の真南に当たる南オーストラリア州とノーザンテリトリーがJSTに対し+30分であり、また夏時間でない場合の西オーストラリア州はJSTに対し-1時間であるため、JSTとちょうど同じ標準時になる地域は、西オーストラリア州が夏時間でない限りは無い。


歴史
日本の標準時に関して初めて制定された法令は、本初子午線経度計算方及標準時ノ件(明治19年勅令第51号、1886年(明治19年)7月13日公布)である。この勅令では、グリニッジ天文台子午儀の中心を通る子午線を本初子午線(経度0度)とし、東西それぞれ180度で、東を正、西を負として表すことを定めた上、東経135度(GMT+9:00)の時刻を日本の標準時(「本邦一般ノ標準時」)と規定した。この日本の標準時に関する部分は1888年(明治21年)1月1日から適用された。

その後、標準時ニ関スル件(明治28年勅令第167号、1895年(明治28年)12月28日公布、1896年(明治29年)1月1日施行)が制定され、東経135度の標準時の呼称を「中央標準時」と、東経120度(GMT+8:00)の時刻を「西部標準時」とそれぞれ規定、後者は八重山列島・宮古列島と日本統治下の台湾・澎湖諸島に適用された。中央標準時と西部標準時との時差は1時間であった。

この「二つの日本時間」は41年余り続いたが、明治二十八年勅令第百六十七号標準時ニ関スル件中改正ノ件(昭和12年勅令第529号、1937年(昭和12年)9月25日公布、同年10月1日施行)という改正勅令により、前の明治28年勅令第167号の第2条(西部標準時に関する条)の条文が削除となり、再び日本の標準時は一つとなった。なお、この改正では第1条(中央標準時に関する条)について文言修正等の改正は加えられずそのまま残ったため、現在も法的には「中央標準時」が日本の標準時の公式な名称とされている。

かつては、兵庫県明石市を通る東経135度の子午線における地方平均太陽時と定義されていた。


明石市立天文科学館子午線上にある明石市立天文科学館では、日本標準時を刻む大きな時計が設置されていたが、1995年の阪神・淡路大震災で破損し、停止してしまったため、その時計は撤去されて神戸学院大学で展示されている。現在設置されている大時計は3代目となり、服部セイコーからの寄贈である。

South Ryukyu Islands時間
FreeBSDなど一部のUNIX系OSでは、1999年初頭までインストール時にタイムゾーンとして「Japan」を選択すると、選択肢として「Most Locations」と「South Ryukyu Islands」のと選択肢が現れ、「South Ryukyu Islands」を選ぶとタイムゾーンとして西部標準時(UTC+8)が設定されてしまうという問題が存在した。

これはこれらのOSがタイムゾーン設定の元データとして利用している「tzdata」というデータベースに誤って西部標準時に関するデータが含まれてしまい(さらに元をたどると「The International Atlas (3rd edition)」(Thomas G. Shanks、1991年)という文献において、「西部標準時が現在も石垣島等で使用されている」旨の誤った記載が行われていることが原因であった)、この誤りを正すような指摘が行われないままであったために発生したものである。

このことが雑誌「UNIX USER」(ソフトバンク)の中で取り上げられた結果、1999年に「tzdata」のデータから西部標準時に関する誤った情報が除去され、その後のバージョンでは「South Ryukyu Islands」という選択肢は表示されなくなっている(ただし2006年4月1日にリリースされたエープリルフール版であるFreeBSD 2.2.9-RELEASEでは、このバグが残されたままとなっている)。


標準電波
日本標準時を国内外に広く知らせるために、情報通信研究機構は標準電波を送信している。この波により送信されている周波数の標準と標準時の信号は、国家標準であるセシウムビーム型原子周波数標準機や水素メーザ型、実用セシウムビーム型原子時計群を用いたものより高い精度に保たれている。なお、標準電波の送信は電離層の影響を受けにくい長波を使用しているため24時間の周波数比較平均値では 1×10-11の精度を得られると発表されている。

1999年6月10日開局の「おおたかどや山標準電波送信所」(福島県田村市都路町 大鷹鳥谷山)だけでは日本全国をカバーできなかったため、2001年には佐賀県佐賀市富士町の羽金山に「はがね山標準電波送信所」を開局し、これにより広い範囲で標準電波が受信ができるようになった。

いわゆる電波時計は、この標準電波を受信し、自動で時刻を合わせる時計である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


投稿者 t_butta : 22:47 | コメント (0) | トラックバック

2008年06月23日

沖縄

63回目の沖縄慰霊の日
1945年6月23日に沖縄戦が終結したことから、慰霊の日となった。詳細は以下にあるが、われわれ本土に住む日本国民は、この沖縄の戦禍を時間が経つにつれ、さらに、考えなければならない。
食品の事故や偽装、不足や高騰、水不足や豪雨、猛暑に冷害。
いろいろなことが、起きる。
横柄に傲慢に生きていると幸せにはなれない。
小さな大切なことを少しでも直視し、少しずつでも改めてゆきたいと思う。


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慰霊の日

慰霊の日(いれいのひ)は、1945年6月23日に沖縄戦の組織的戦闘が終結したことにちなんで、琉球政府及び沖縄県が定めた記念日である。復帰前は、住民の祝祭日に関する立法(1961年立法第85号)に基づく公休日とされ、現在でも沖縄県内では公休日である(ただし地方限定の公休日であるため、当該日が日曜日にあたっても翌日が振替休日にはならないが、過去には学校などによって翌日も休日になることもあった)。そのため国の機関や国立大学(琉球大学)以外の役所・学校等は休日となる。毎年この日には糸満市摩文仁の平和祈念公園で沖縄全戦没者慰霊祭が行なわれる。


経緯
1945年4月1日にアメリカ軍の沖縄本島上陸によって本格的に開始された沖縄戦は、第32軍司令官牛島満大将(当時は中将)をはじめとする司令部が自決した日をもって組織的戦闘が終結したとされている。この自決がいつあったのかについては、6月22日説と6月23日説があり、現在、沖縄県では6月23日説を採用している。しかし、どちらが本当に自決があった日であるかについては議論があり、1961年に当時の琉球政府が慰霊の日を定めた際にも、当初は6月22日としていたものを、1965年に6月23日に改めた経緯もある。現在は1974年に制定された「沖縄県慰霊の日を定める条例」により、「我が県が、第二次世界大戦において多くの尊い生命、財産及び文化的遺産を失つた冷厳な歴史的事実にかんがみ、これを厳粛に受けとめ、戦争による惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである恒久の平和を希求するとともに戦没者の霊を慰めるため(条例第1条)」、6月23日を「慰霊の日」と定めている。

一方で、司令部が壊滅してもそれを知らされなかった兵士たちが抵抗を続けたため、散発的な戦闘は司令部自決の日以降も続いた。このため、慰霊の日を司令官自決の日と定めることに対して疑問を投げかける立場もある。たとえば沖縄市では、慰霊の日を休日とする一方で、同年9月7日に降伏文書への調印が行なわれたことから、同日を「市民平和の日」と定めている。

1962年から、この日には沖縄県が主催する沖縄全戦没者慰霊祭が行なわれ、沖縄戦犠牲者の遺族やその子孫などが集まり、式典中の正午には黙祷が捧げられる。また、この日は沖縄県平和祈念資料館が入場無料となる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

投稿者 t_butta : 17:23 | トラックバック

2008年06月20日

値上がりより物不足???

肥料年度という年度があり、始まりは7月1日。
この7月1日からは、化学肥料がおそよ100%、有機肥料でおよそ30%値上がりするらしい。
私どもは、ほとんど有機質肥料ですが、このような値上がりは、聞いたことがない。

パスタやラーメン、うどんのように、原料が値上がりしたからといって、値上げをすることは、農産物のの場合は、難しい。

すでに、石油や様々なものも倍近い価格になっている。

どうも、この調子だと、三倍になることも考えておかなければならない。

しかし、もっと大切なのは、肥料などは、在庫に余裕がないことである。
高くても在庫が、ないというのは、恐ろしい話で、烏賊釣り船のように出漁できない、農産物で言うと肥料がないから、作れない?という話が出てくることがいちばん怖い。

そうならないよう、堆肥などを使い、肥料の代替えを考えている。

投稿者 t_butta : 03:04 | トラックバック

2008年06月17日

沖縄が、梅雨明けというのに、雪なんてと思うかも知れませんが。
雪という詩です。
姿を変えてゆく雪。
こんなときだからこそ。
降る雪も、飲む水も、海の水も、汗も、涙も、体のなかにある水も。
いつかは、雪だったかもしれない。

雪がはげしく ふりつづける
雪の白さを こらえながら
欺き(あざむき)やすい 雪の白さ
誰もが信じる 雪の白さ
信じられている雪は せつない
どこに 純白な心など あろう
どこに 汚れぬ雪など あろう
雪がはげしく ふりつづける
うわべの白さで 輝きながら
うわべの白さを こらえながら
雪は 汚れぬものとしていつまでも白いものとして
空の高みに生まれたのだ
その悲しみを どうふらそう
雪はひとたび ふりはじめると
あとからあとから ふりつづく
雪の汚れを かくすため
純白を 花びらのように かさねていって
あとからあとから かさねていって
雪の汚れを かくすのだ
雪がはげしく ふりつづける
雪はおのれを どうしたら
欺かないで 生きられるだろう
それが もはや
みずからの手に負えなくなってしまったかのように
雪ははげしく ふりつづける
雪の上に 雪が
その上から 雪が
たとえようのない 重さで
音もなく かさなってゆく
かさねられてゆく
かさなってゆく かさねられてゆく

投稿者 t_butta : 22:33 | トラックバック

2008年05月02日

大安

誰が考えたか分からないけど、今日は大安。
旧暦では3月27日。
明日からは、四連休が始まる。
今年は、国内旅行派が多いとか。
私には全く関係のないゴールデンウィーク。
その昔、黄金週間ともいいましたっけ。

投稿者 t_butta : 23:53 | トラックバック

2007年12月31日

大晦日

今年は、11月に気温が低く、蕪の生育が遅れましたが、12月に入りなんとか収穫に間に合いました。
最近は、温暖化が話題になっていますが、いよいよ来年から温暖化の規制が始まるようです。
何しろ40年前ごろの冬は、大晦日はほとんど根雪になるくらい雪があったものです。
今は、当時の鳥取か島根のような気候ではないかと思います。
特別栽培米や化学物質の使用の削減に取り組んで来ましたが、更に環境に対する対応に積極的に取り組んでいかなければなりません。

来年もよろしくお願いいたします。

投稿者 t_butta : 16:54 | トラックバック

2007年08月23日

処暑

処暑は、天地始粛といって、暑さが落ち着くころのことをいう。

今ではどこもかしこも、空調がきいているが、先日とあるお役所に行ったとき、室内がとても暑かった。
クールビズで、28度にしているらしいが、外よりも室内が暑かった。
窓が開かないのである。室内は事務機やパソコンから発せられる熱がこもっているという感じ。
多額の投資をして、温度を高めて、窓が開かない公共の建物で働く人は大変である。

環境にやさしいというのは、環境と関わることであるから、窓も開くような建物にすべきですね。

そよそよと涼しい風にあたると良い考えも浮かぶかも。。。


投稿者 t_butta : 13:58 | コメント (0) | トラックバック

2007年08月15日

62回目の終戦記念日

第二次世界大戦の日本が終戦、いや敗戦でもある日から62年が経過した。

私の母方の祖父は、大正13年生まれ。

戦争に幾度といった。

三件隣の近くに住んでいることもあり、時々会いに行くが、必ず出てくるその時代の話。


私の父は、両親が山形で亡くなり、幼少に実父の生まれたこの上林へ引き取られ、遠戚の佛田家の養子となった。
この養父と養祖父は、戦後まもなく亡くなった。戦没者ではないが。


日本人として、生きることの意味。
自らの生の有り様について考えざる得ない。

これは、日本が敗戦国であるとか、被爆国であるとかのみならず、自らが現代において、どのような思想と価値観を持ち、そして社会でどのような活動をするのかである。

人は、欲望的であることは否めない。しかし、その欲望もまた、社会の機能として大道を目指す方向であらんとしたい。

蝉の鳴き声と、線香の香り。
暑い日差しの墓参り。

幾度となく過ごしてきた旧盆であるが、この日は、一年に一度、時間が止まる日でもある。

そして、もう、秋はそこにいる。

。。

投稿者 t_butta : 17:32 | トラックバック

2007年07月23日

農業と経済に掲載


農業と経済の2007年8月号に原稿を掲載しました。

今回は、農協問題。

問題の頭出しをしたところです。


http://www.kyoto-gakujutsu.co.jp/showado/noukei/200708.html

投稿者 t_butta : 12:52 | コメント (0) | トラックバック

2007年05月08日


吉本隆明とヘミングウェイの古本を得た。


経済は、世の体のであるから必要である。

また、それを動かす金もしかり、血液である。

知識や理論は、頭脳である故、重要である。

人は人と関わるとき、どのような物理的条件であるか、肉体であるか、ということを司るその精神が、そもそも、いかに、人としての生業を成立させているのである。


肉体に精神は宿り、精神は肉体を成立する。

同人を得、その精神を成熟させることに相成る。

人が人として生まれ出る地平は有り、その地平の展開である人である。

人は、ひとであり、じんである。


何をもって人とするか。
その精神とは。

本義である。


吉本の
擬制の終焉
(初版)

ヘミングウェイの
日はまた昇る
武器よさらば
短編
(筑摩世界文學大系74 第一版)


義とは何か。
義とは。

問うてみる。

投稿者 t_butta : 03:23 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月19日

あなたとわたしとたべる

 ひとは、食べ物を食べずして生きてゆくことは出来ません。
ましてや、水や空気や太陽も無くてはならないものです。
そして、眠ることも。

そう、人は生物なのです。
受精から始まり、お母さんのおなかの中で大きくなり、生まれてきます。
生まれながらにして、空気を吸い、水分をとり、食事から様々な栄養を得ていきます。
大人の世話を受けずに育つ子供はいません。
そうして、日々すこしずつ大きくなってゆくのです。

人間は、体のなかに心を持ちます。
誰が授けたのか、どうして授けられたのか、不思議です。
心は、楽しくなったり、不安になったり、怖くなったり、日々いろいろな変化をします。
ひとは生きるとき、その心というものに大きく影響され、元気にもなるし、不健康にもなります。
給餌行動が、生まれてからすぐに始まる人間は、大人になるまで、いや、大人になっても、親や家族やパートナーや友達など、誰かと楽しく食べることにより食行動を楽しく有意義なものにしようとし、信頼関係を築こうとするのです。
そうして、自立したひとりのひととなってゆくのです。

孤食や個食は、食による共有や信頼を阻むこととなります。

あなたとわたしと、ともに食べることにより、関係がつくられ、共有する何かがそこに生まれ創り出されると想います。

投稿者 t_butta : 17:51

2006年08月18日

そろそろ

田んぼの穂も垂れ始めている。

今年は、天候が心配されたが、普段通り暑い夏になった。

お盆が過ると、稲刈りの準備が始まる。

今年は、どういう出来か。

最後まで災害のないよう祈るしかない。

投稿者 t_butta : 04:01 | コメント (0)

2006年07月17日

土砂降り


ここ2日ほど、土砂降り。

川が警戒水位を超えたとか。。

国土交通省の河川監視カメラで見ると、梯川がとくにすれすれでした。

大丈夫だったでしょうか。

農作物があると心配はつきないものです。。

投稿者 t_butta : 22:53

2006年06月12日

トマトとイタリア人

読みはじめました!

なかなか面白いですね〜…

『魔の果物』と恐れられ誰も食べようとしなかったとか、、


感想はあらためて!

投稿者 t_mobile : 22:30 | コメント (0)

2006年04月27日

GAP=適正農業規範

GAPの研修会に参加しました。。


Good Agricultural Practiceの略称。「適正農業規範」と翻訳されます。
農作物の生産において、農産物の食品安全性や品質確保、環境負荷低減を目的に、適切な生産方法を示す手引きとその手引きを実践する取組みのことです。

 従来の日本にはなじみの薄い概念で、国際標準となっているEU圏の先進事例(Eurep GAP)を学びながら日本におけるGAPの概念普及と日本での実践方法の確立「日本版GAP=JGAP」が求められています。

GAPの目的
 GAPの目的は、安全・高品質な農産物を消費者に届けるとともに環境負荷の低減を行うことです。そのためには環境や経済面を含めた持続的な農業生産が行われることが必要となります。日本の農家がGAPの整備を行うことは、結果として輸入農産物に対抗できる安全性・品質を保持することになります。

GAPのためには何が必要か 毎日の農作業の中で、日本のまじめな農家なら守っている当然のことを、きちんと文書化した、流通関係者や消費者にも理解される、全国共通のGAP(適正農業規範)が必要です。 JGAI協会の会員は、生産者として「当然のことをきちんと行う」ことを通じ、農産物流通の信頼の輪を作り上げ、消費者の信頼を取り戻すことを目標とします。

GAPがもたらす流通改革 JGAI協会は、会員のGAP導入・普及を推進し、流通及び販売業者と連携し、農産物販売の計画、予測、供給の共同体制(CPFR会議)を構成することで、農産物の安全性確保と安定供給のための流通革新を実現します。

Eurep GAP関連リンクEurep GAP ウェブサイト(英語・ドイツ語・フランス語・スペイン語)
http://www.eurep.org/

農林水産省 海外農業情報(日本語)
http://www.maff.go.jp/kaiJGAI/topics/f_eu.htm

このような規範が必要かというと、本来、信頼関係があれば、必要がないこと。

トレサビリティしかり、見せるための取り組みではなく、自らが取り組むべき品質向上運動です。

投稿者 t_mobile : 10:49 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月07日

種まき

今年は、稲の種まき機を新調。

正確に播種することが出来るようになると、薄蒔きが可能に。

今回の機械は、ある一定の精度〔欠株が出ない程度〕はひと箱60グラム程度となる。
いままでは、80グラム程度だった。

となると、80グラムで播いても、精度が遙かに上がることになる。

機械の更新で、より精度の高い、播種ができ、田植え時には、欠株が少なくなることとなる。

これで、薄蒔き粗植が可能となり、良い米をとるための改善が大幅に進む。

今年の品質と作柄向上に期待したい。

投稿者 t_butta : 02:43 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月01日

設立記念日

ぶった農産が法人化して19年が経ちました。

これも、皆様のおかげです。

株式会社化して五年が経ちました。

時間ばかりが経ち、お客様にたいしてまだまだ十分ではございません。

今後とも、一つ一つではありますが、改善を重ねて参りたいと思いますので、よろしくお願いします。


会長〔佛田孝治〕が、先代無きあと、中学を卒業し、正式に農業について五十四年が経ちました。

私〔佛田利弘〕は、まだ、二十四年です。
会長より社長を継承して、はや五年。
まだまだ、代表を務めるにあたり、精進せねば、身がひきしまります。


皆様のご愛顧、指導を賜りながら、努めて参りたいと思います。

今後ともよろしくお願いします。


                佛田利弘 拝

投稿者 t_butta : 03:32 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月12日

新・農業人フェア

池袋で新・農業人フェアに参加。

http://www.nca.or.jp/Be-farmer/snj-fair/index.html


ただ、ブースで待っていても、来るわけがないと、持てあましつつ待っていると、学生さんが、、、

先日ある大学で講義の機会を得たが、その学生さんが次々と・・・

それから、インターンシップに来ていた人が、ふたり。
1人は、大学を出る前から、農業関連のネットビジネスを友達と起業とか。
もう1人は、四国の農業法人で、4月から働くとか。

いろいろと門出がある。

大学生は、農業について良いか、迷ってるひとが多かった。

迷うことは大事なことだが、吹っ切ることも必要。

自分は、この仕事に就いておよそ20年余。
特にこの仕事をどうしてもという選択ではなかった。

どんな仕事をやっても同じだと思っている。

良いことも悪いことも、同じだけついてくる。


頭でなく、心でどう感じられるか。。。

投稿者 t_butta : 23:21 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月04日

ミッション

政治や政策、組織や機能には、ミッション(使命)がある。

農政にも、農業団体にも、農家にも、同窓会にも。。。

これが充足されないとどうなるか。

その結果は当然である。


本来の目的が、満たされないならば、淘汰されるだろう。


当然、止む終えない。

水がなければ、植物は枯れることと同じだ。


同窓会の役員をしているが、母校が、なくなるというのは辛い。
というより、必要なことが行革で削減され、淘汰される。

いまの行政能力の限界かも知れない。

行政が出来なければ、自らがやるしかない。

農政改革しかり。

既存の行政・農業団体が出来ないことは、そのほかでやるしかない。


それが、使命というもの。

きれい事ではない。

投稿者 t_butta : 02:03 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月21日

今西錦司

最近、今西錦司に接する機会があります。

彼の「進化とは何か」とう本の序章の冒頭にこうあります。
 【進化をどのように考えるかということ、すなわち進化論というものは、科学の問題とあるとともにまた、思想の問題であるともいえる。・・・・・・・・・・】

情緒の価値・意味を考えてみたい。

1

902.1.6~1992.6.15 生態学者。人類学者。日本の霊長類学の創始者。京都帝国大学農学部卒業(1928)。京都大学、岡山大学、で教授職、岐阜大学では学長を歴任。日本の登山界、生態学、人類学、霊長類学と多方面で活躍された。初期にはカゲロウの分類と生態に関する研究から、生物群集の空間的構造に着目しすみわけの概念を提唱した。すみわけは、今西にとっては、種間の社会的関係概念であり、第二次大戦後、今西はこれを種内の方向にも発展させ、‘種社会’論を展開、これを基盤に動物社会から進化過程を復元する理論的基盤を築いた。動物の個体識別法は国内外の研究者に影響を与えた。晩年には進化論と自然哲学の研究に没頭し、種社会論の立場から突然変異と自然選択によらない進化論を提唱し、また自然のありのままの受容と認知の重要性を「自然学」として主張した。

 文化功労者に選ばれ、文化勲章を受ける。京都大学名誉教授、岐阜大学名誉教授、前日本山岳会会長。理学博士。 岩波生物学辞典 第4版などより

投稿者 t_butta : 15:23 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月26日

理(ことわり)と拘り(こだわり)

いままで、こだわりが、言い意味だと思っていたら、あるとは、辞書を引くと、
こだわり:拘り

こだわり こだはり 0 4

(1)こだわること。拘泥(こうでい)。
「今では彼に何の―もない」
(2)なんくせをつけること。文句をつけること。
「本家から―のくる嫁をとり/柳多留拾遺」
三省堂提供「大辞林 第二版」より

とある。
金田一晴彦の息子がそのあと、テレビに出ていたのを見たが、そのときも、あまりよい意味ではないと言っていた。


その時、友人の会社が使っている【理】を思い出した。

ことわり  【理】


〔「ことわり(断)」と同源。理非を判断する意から〕
(名)
(1)もっともな事。道理。条理。
「―を説く」
(2)理由。わけ。
「その―を、あらはにえ承り給はねば/源氏(須磨)」
(3)理論。理屈。
「この―を聞き果てむ/源氏(帚木)」
(4)格式・礼儀にかなっていること。
「有司(つかさつかさ)、―を以て収め葬る/日本書紀(敏達訓)」
(形動ナリ)
(1)当然であるさま。もっともであるさま。
「とはせ給はぬも―に思ひ給へながら/源氏(須磨)」
(2)もちろんであるさま。いうまでもないさま。
「法師は―、男も女も、くるくるとやすらかに読みたるこそ/枕草子 158」
→断(ことわ)り
――過ぎて
普通の程度を越えて。極端に。
「―霞む月かな/新後撰(雑上)」
――せめて
(1)条理を尽くして。
「―説けども屈せず/読本・八犬伝 4」
(2)道理から推して当然で。もっともなことで。
「なほせきかぬる感涙は―哀れなり/浄瑠璃・百日曾我」
――無・し
道理に合わない。
「うき身ゆゑ何かは秋のとまるべき―・くも惜しみけるかな/長秋詠藻」

三省堂提供「大辞林 第二版」より

投稿者 t_butta : 11:27 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月12日

形式と暗黙

知識学の勉強会が始まる。

日本は、暗黙社会。

主語を使わない会話も多い。
文脈で事を理解する。

農耕民族だから、黙々と耕したおかげ。

西洋文明は、狩猟からくる文化。
英語は、必ず主語がある。

契約社会である。


知識学は、この形式と暗黙を 【形式知】と【暗黙知】として定義づける。


ん~~??????

投稿者 t_butta : 15:33 | コメント (2) | トラックバック

2005年05月12日

こだわり


こだわりと聞くと、いかにもそれに、熱心に取り組んでいるというような意味として、使われているが。

実は、最近、辞書をめくってみて、知ったのだが、そもそも、あまり良い意味でないのです。

gooの国語辞典で調べると次のように出てきます。

こだわり 


(1)こだわること。拘泥。
「今では彼に何の―もない」
(2)なんくせをつけること。文句をつけること。
「本家から―のくる嫁をとり/柳多留拾遺」


三省堂提供「大辞林 第二版」より

ということは、悪い意味なんですね。


農産物の栽培などでも、よく使われている言葉だが、よくよく考えてみると、主観的情緒なんですね。

求められているのは、客観的評価だと思います。

こういってしまうと、万人受けする物のようにとらわれがちですが、決して少ないお客様しかいなくても、客観的評価は成り立ちますよね。

多様な社会に進み、違う価値を認めることが、とても重要であり、それが平和と豊かさを享受することになると思います。

人間同士のみならず、自然界ぜんたいという事でしょう。

投稿者 t_butta : 20:33 | コメント (3) | トラックバック

2005年04月16日

農業は金儲けか

みなさんは、どう思われますか。

内山先生は、人道である言われている。


人道たるにはどうすればよいか。

生きることでもあると。

投稿者 t_butta : 18:15 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月12日

無形の価値


教育の成果はどうはかるか。

測ることそのものが、無意味なのかも知れないが、現代にあって、説明責任というやっかいなものがつきまどう。

教育という多様な価値の示唆が、評価と言うことに耐えうるのか。


知識社会へとどんどん進みつつある日本が、本当に評価すべきは、無形の価値。


スコアリングができるのだろうか。


やらなければならない。

投稿者 t_butta : 01:45 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月07日


稲の種のことを種籾という。

http://www.zenchu-ja.or.jp/other/AGURI/NOUKA/nouka_crops02a.html
(ここの写真は、ほとんどうちのものです。)


いつの頃から、稲作が始まったのか定かではないが、私の事務所の前の農地からは、弥生時代後期の遺跡が見つかり、稲作のあとが発見されました。

今の、自宅の下も集落の跡だそうです。

稲の歴史は、日本文化の歴史でもあります。

http://trg.affrc.go.jp/v-museum/history01/history01.html

個の時代にあって、集落は、今も、カタチは残っていますが。

機能は、大きく変化しています。

何しろ、冠婚葬祭を自宅でやらなくなったことが大きい。

先祖の話も、近所の年寄りとする機会が無くなったと言うことですね。

日本の関係性は、希薄になり、無責任になっている。

だからこそ、種としての日本人を考えるべきである。

投稿者 t_butta : 19:22 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月04日

関係

最近、人との関係が仕事になっている。

会社、役所、家族、友人。


人とかかわることが、ウエイトが多くなっている。


もの作りから関係を築く時代。

アナタとワタシ、の関係。


そう、関係性の時代。

それが、価値を持つときである。


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投稿者 t_butta : 04:34 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月03日

3日坊主


この手の書き込みは、過去には、いつも3日もしないうちに、やめてしまっていた。


ブログとなると、管理画面をすぐ立ち上げて、さくさくと書き込みが出来る。


外に出ることが多い自分にとってケータイから書き込みが出来るのもいい。


それから、プログの本格利用は、データーベースですね。


たぶん近いうちに多くのサイトがブログになるのでは無いかと思います。

なぜかって、、、簡単だからです。

投稿者 t_butta : 19:30 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月23日

失墜

1月22日から一昨日までに4件、昨日2件、今日が2件。

人為的ミスがほとんどのJAL。


今は、マイルと発着時刻の都合上、JALばかりだが、ここまで、信用を失墜してしまっては、落ちない飛行機も落ちてしまうのでは、考えてしまう。


人を一部入れ替えても、風土は変わらない。

全部入れ替えないと、変わらない。


もしくは、全部入れ替えないとか。

変えてよくなるのなら、うちの会社もそうしている。

邪魔しているモノは、何かだ。

風土はむずかしい。


FOODも。

投稿者 t_butta : 22:12 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月21日

失われた時間

先日、韓国へ調査に行く機会を得た。

もの作りや、考え方、政治、すべてが、高い意識で行われていた。

技術そのものや、経済の価値は、未だ日本が先進かもしれないが、それに勝るマインドが韓国にはあった。

勢いがある。

ただ、韓流ブームといっているのではない。

韓国の若者・中年でも、日本語を習う人が多い。

日本は、バブルの後処理にいまもまだ時間とエネルギーを費やしている。


そして、政治がそれに振り回されている。


まるで江戸時代の再来である。


中国という黒船が来る日は近い。

井の中の蛙になっていくニッポンをどうするかである。

投稿者 t_butta : 10:20 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月16日

人生ヘアピンカーブ

40も半ばになると(まだ、真ん中までは行ってませんが・・)、いままで見えてこなかったモノが見えてくるときがある。

この人は、死んだら女神になるか蛇になるとか、妊婦をみて男か女かとか、宝くじの当たりがわかるとか、何歳になったら結婚できるとか、ではなくて・・・・

若いときに苦労しなかった分、それなりの年になっていろいろあると、今までは、霧がかかっていたこともわからないまま、身近な周辺しかわからなかったことが、その霧が晴れていくように遠くが見えるようになった気がする。

というものの、これもうぬぼれでは無かろうかと疑ってはしまうものの、案外、見えるときは見えてしまうのも事実。
経験なのかな、と思うが、それも当たっていないと思う。
それは、少ない経験だからだ。


一般に、良いか悪いかは、相対である。

しかし、自分にとって、それは、絶対である。

相対と絶対は、相容れないモノかもしれないが、相対と絶対は、対立することなく社会にあるのである。
それは、だれかが、なにかが、両者をつないでいる。

見えてくると言うことは、そういうことなのかもしれない。

いままでは、その限定された枠組みのなかで、生きていたように思える。

海の先が、滝になっているのではなく、海は、海として繋がっている。

社会のありようがどのように、社会たるかは、社会の生き様として、見据えることは、意味のあることである。

言い換えれば、自らが、自らたるかは、自らの生き様として、見据える。

カーブは直線があるから、カーブである。


その道を行くのは、自分。

投稿者 t_butta : 09:09 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月28日

政策と情報

ここのところ、政策関連で立ち回ることが多い。

しかし、何かを理解してもらうことも、そこには、正確な情報が必要だ。

間違った理解や憶測によるモノなどは、非常に間違った判断を下すことになり、結果として違う方向へ進むことになる。

カルロスゴーンが言っていたとおり、問題の解決は、その半分が状況の認識である。
正確な状況認識こそ、問題解決の最大の条件であるという。

いま、日本の社会は、情報化されていると言われているが、多くの問題が積み残していることからすれば、状況認識が間違っているのでは無いかと思うのである。

投稿者 t_butta : 09:36 | コメント (0) | トラックバック