2009年09月16日
希望
昨日、NHKで希望学についての特集があった。
希望がもてない社会、そうしている社会構造。
この原因は、何か。
また、希望を持つことによって得られるものとは。
生きる希望をどのように得ていくか。
心ない出来事や関わりには、どのように向き合えばいいか。
人間である以上、生と死について考えなければならない。
これはまた、われわれ人間に課せられた運命でもある。
どのように生きてゆくか、この生き様こそが、自らの人生の足跡でもある。
私は、どうして生きるか。
なぜ生きるか。
未だ、このような事を問うには未熟すぎ、そのような意味すらない人間かもしれないが、それを問うことに足を踏み入れなければならない。
それが、未熟者であるがゆえの試練と使命かもしれないと思うのである。
稲刈りをやり始めて、およそ40年弱、仕事として米づくりを手伝って27年が経つが、未だ稲すらろくに作れないこの事態をどのように処するかも、また、避けられない重要な事実である。
父は、16から正式に家長になり、57年、手伝いを入れると60年余稲にたずさわってきた。
この時空にどのように、展望と希望を持ち続けたか、足跡すらたどれないでいる。
投稿者 t_butta : 2009年09月16日 00:00
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